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マタイによる福音書  22章34~46節 [マタイによる福音書]

<イエスは言われた。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じ様に重要である。「隣人を自分のように愛しなさい。」律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(38.39節)>

「数多い律法の中で最も重要な掟を問われた主イエスは、神である主を愛する事、隣人を自分のように愛することを示されました。2つの愛は旧約聖書の中心です。主イエスは律法や預言者を完成される方です。」と、10月の「日毎の糧」担当、東京相愛教会、長尾ハンナ牧師が書き出される。

ファリサイ派の人々は、主イエスが「サドカイ派の人々を言い込められた」と、知ると一緒になって主イエスを試そうと、「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」と尋ねた。ユダヤ人指導者、学者たちは主イエスに挑戦を試みる事によって、神に敵対する地上の支配勢力としてここに登場する。

S牧師は「『言い込められた』という語は、直訳すると『黙らせた』です。主イエスの敵対者たちの仕掛けた論争は、神に逆らう者の空しい騒ぎに相当します。神はその騒ぎを黙らせる力をもったお方です。波たける湖を静められたように、主は神の権威と力によって偽りの権威をかさに着た敵対者たちを沈黙させます。」と話された。

「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(申命記6章5節)」「聞け、イスラエルよ」で始まる、この祈祷文を旧約を生きたイスラエルの人々は毎日の祈りの中で唱えていた。それは人々の心に「全身全霊をもって神に仕えること」を刻むためのものであった。

「愛する」という事は、口先で語ったり、気持ちで愛すると言う事ではなく、仕える事です。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい(ローマ書12章)」と、パウロは命じています。愛は神と隣人に対する献身ですと、S牧師は話された。

質問者にとっても神への愛は空想ではなく、実質を伴う行為であった。しかし、主イエスはそこにもうひとつ掟を合わされた。レビ記19章の「隣人を自分のように愛しなさい」である。主イエスご自身が、この第二の掟を重要なものとされて、罪人を救うために十字架に向かわれた。

「人にしてもらいたいと思う事は何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。(マタイ書7章)」隣人を愛するとはどういうことか、言葉を変えて主が話されている。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「封書一つポストに落とし帰る道漂ひながら黒揚羽来る 角田恒子」

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