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民数記  27章12~23節 [民数記]

<モーセは主が命じられたとおりに、ヨシュアを選んで祭司エルアザルと共同体全体の前に立たせ、手を彼の上に置いて、主がモーセを通して命じられたとおりに、彼を職に任じた。(22.23節)>

「モーセは残される民を心配し、神の言われる通りに後継者の頭に手を置き、権威を引き継ぎます。モーセはしばしば神に対して意見しましたが、この場面では黙って従います。」と海老原牧師は書きだされる。

主はモーセに「このアバリム山に登り、わたしがイスラエルの人々に与えた土地を見渡しなさい(12節)」と言われた。モーセは山上から約束の地カナンを見渡すように命じられた。しかし、目の前に広がる地には入る事が出来ないと主は告げられた。それはモーセがツィンの荒れ野で主の命令に背き、あの水によって「私の聖なることを示そうとしなかったからだ。」と言われた。この時モーセは120歳であった。

約束の地を前にして、過去の罪のために念願の地に入ることができないと言われたモーセの心境を思うと可哀そうだと思うが、約束の地に入るには、先住民との争いが想像されることを思うと、これは神のやさしさ彼へのねぎらいかもしれない。モーセはこの雄大な地を見渡した時、これまでの痛み、苦しみを思い、満足の内に主の御言葉を受け入れたのだろう。

モーセは主に「・・・どうかこの共同体を指揮する人を任命し、彼らを率いて出陣し、彼らを率いて凱旋し進ませ。また連れ戻す者とし、主の共同体を飼う者のいない羊の群れのようにしないでください。(16.17節)」と願った。羊は視力が悪いので、迷子になり易く外敵に対して弱い動物で、羊飼いがいなければ弱り果ててしまう動物である。イスラエルの民がそうならないようにとモーセは心から願った。

O牧師は「どんなに優れた指導者も必ず死を迎えます。ダビデも神殿建設の準備をしましたが、その完成には立ち会えませんでした。けれど、信仰をもってその神殿完成を期待し、自分が出来る事をしました。子育ても同じで、親は最後まで見届ける事は出来ないのです。けれど、主に『委ねる』ことで、それは神と私たちの共同の働きとなるのです。」と話された。

神はヨシュアを後継者に選ばれた。そして「あなたの手を彼の上に置け」と言われる。そうする事によってモーセの権限、権威がヨシュアに分け与えられた。

「モーセにとって神が選んだ後継者に権威を託すことは、民を導く重責からの解放とも考えられます。私たちもまた、聖霊降臨の時から神の平和の実現を待ち望みつつ、受け継がれてきた使命を託され、託していく者であることを覚えましょう。」と、海老原牧師は結ばれる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「こじらせてからまりあって身動きもできないような一日もある  川端和夫」

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