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サムエル記下  23章1~5節 [サムエル記]

<主の霊はわたしのうちに宿り、主の言葉はわたしの舌の上にある。イスラエルの神は語り、イスラエルの岩はわたしに告げられる。(2.3節)>

「神と人に愛されたダビデの最後の言葉が記されています。為政者として、神に従いつつ人を治めるという、まさにお手本のような言葉です。」と海老原牧師は書きだされる。

サウルの後に全イスラエルの王となったダビデは、寒村のベツレヘムで羊を飼うことで生計を立てていたエッサイの末息子であった。彼がサウル王宮に召し抱えられたのは、家柄や富、武功ではなく、彼の運命を左右したのは「歌」であった。ダビデは、竪琴を弾き、それに合わせて即興の歌を歌う。宗教儀礼や農作業、冠婚葬祭、歌と生活は欠かせず、ダビデはこの一点において王家に繋がった。

この最晩年の最後の言葉も歌として記される。「イスラエルの麗しい歌」と記されるのは、彼の最後の歌が美しいということだけでなく、ダビデという人物が、その生涯そのものが一編の「イスラエルの麗しい歌」だとされる。詩篇には「ダビデの歌」と表題が与えられ、彼に由来するものとみなされている。

2.3節の歌は、神は言葉を語られる。神の言葉は霊であり、それが舌、つまり自分の命の根源にあって、私を守る岩のごときものである。とダビデは歌うのである。

彼の人生は若い時は自分が誠意をもって仕えたサウル王によって命を狙われ、長く逃亡生活を余儀なくされた。さらに年老いてからは実子アブサロムから王位継承に絡んで命を狙われ逃亡する事になった。彼の人生は「逃げの人生」そのものであった。サウルもアブサロムもダビデにとっては「大切な人」であり、立ち向かい戦い、禍根を絶つことは出来ず、愛のゆえに「逃亡」という方法を選んでいた。

ダビデが「困難から逃げる」を選択し決断する力はどこから生まれてきたのだろうか。「神に従って人を治める者、神を畏れて治める者は、太陽の輝き出る朝の光、雲もない朝の光、雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光。(3.4節)」 つまり敵対する者を自分の判断で排除せず、自分と相手との間におられる神の御心をダビデは常に優先したのである。

ダビデも時には大きな過ちを犯し、後悔し、嘆き悲しみ大声で泣いた。しかし、その時に彼が気づいたのは、それでも神が自分を見捨てることはないという事実であった。「神はわたしと離れることはない。」と、確信し彼は悔い改めを重ねながらも生きる事ができた。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「月曜はどうしても来てきりきりと社宅の薄いカーテンを刺す  丸山萌」


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