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ヨハネの黙示録  14章14~20節 [ヨハネの黙示録]

<すると、別の天使が神殿から出てきて、雲の上に座っている方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています。」(15節)>

「罪から逃れたいと欲しながら、気づけば罪を犯し、罪にまみれているのが私たちの実際です。ヨハネが見た幻の中では、金の冠をかぶったキリストが鎌を手に持っていました。」と、服部牧師は書きだされる。

「白い雲の上に座っている方」を見るようにとヨハネは促される。雲は神の栄光をあらわし、その上に座しておられるキリストが確かに、神に全権を任されたお方であることを示す。「白雲」と「白」が強調されるのは、清さを示し、後に出て来る「大淫婦バビロン」は、世の姿であり、その汚れた姿として現される。そこに、天におられるキリストの清い姿とが対比される。

また、このお方は「金の冠」を被っておられる。それは王冠ではなく、勝利と救いをもたらした者に与えられる冠である。ローマ皇帝も王冠ではなく、勝利によって人々に救いをもたらした者として、月桂樹の冠をしばしば冠っていた。そしてこのお方は「鋭い鎌」を持っておられた。収穫のための鎌であるが、「鋭い」というのは、その裁きが容赦なく行われる事を示している。

聖書で「刈り取る」という言葉を聞くと、魂の救いの収穫の事を思うが、聖書はただそれだけではなく、悪い実を結ぶ者たちの時にも用いられる。「畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりもそうなるのだ。(マタイ書13章)」

また、別の天使も手に鋭い鎌を持って神殿から出て来た。すると、祭壇のところから火を司る権威を持つ別の天使が出てきて、鎌を持つ天使に、その鎌をもって、地上のぶどうの房を取り入れよ、ぶどうは既に熟しているといった。ぶどうは熟しすぎていた。主はそれほどまで忍耐して、人々の悔い改めを待っておられたのである。

ぶどうは収穫され、大きな搾り桶に投げ入れられ、都の外で踏み潰される。「すると、血が搾り桶から流れ出て、馬の轡に届くほどになり、1600スタディオンにわたって広がった。(20節)」 主が戦われて、彼らが殺されその血が流れる。それは馬の轡に届くほど、1600スタディオン(296k)に広がると。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「揺れもせず静静上がる観覧車夫と吾とは次第に無口 塩畑光枝」

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