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ホセア書 14章2~10節 [ホセア書]

<イスラエルよ、立ち帰れ、あなたの神、主のもとへ。あなたは咎につまずき、悪の中にいる。誓いの言葉を携え、立ち帰って言え。「すべての悪を取り去り、恵みをお与えください。この唇をもって誓った事を果たします。(2.3節)>

「預言者ホセアは、罪につまずき倒れ、傷ついている民に神のもとへ『立ち帰れ』と言います。いけにえではなく『言葉』によって悔い改めること。主なる神をのみ拝する事を誓うように示します。その躓いて傷つき、罪の告白をする者たちを、神は『癒し』こそすれ、もはや怒る事なく『愛する』のです。」と、浅見牧師は書き出される。

「サマリアは罰せられる・・・」と、ホセアが告げる。BC722年サマリアはアッシリアの前に陥落する。けれど続く2章では「イスラエルよ、立ち帰れ。あなたの神、主のもとへ」と、民は悔い改めへと招かれる。悔い改めは罪の懺悔という事もあるが、方向転換して何よりもまず、心を主なる神に向けて、主のみ言葉に聞き従う道をとることである。

ホセアはイスラエルの民に「すべての悪を取り去り、恵みをお与えください。」と赦しを請う祈りの言葉から始まる悔い改めの言葉を教えた。そして、アッシリアやエジプトという大国の力に頼る事を止め、戦車や騎馬など、軍事力に頼って国を守ろうとすることを止めると宣言した。また偶像礼拝との訣別を誓い、ヤロブアムの犯した罪から離れ、主を信じ従う事を表明した。

「私は背く彼らをいやし、喜んで彼らを愛する。まことに、私の怒りは彼らを離れ去った(5節)」と、民の悔い改めに主は応えて下さった。イスラエルの人々は「咎につまずき、悪の中に」あった。国は裁かれアッシリアによって首都は陥落した。主はそんなイスラエルに悔い改めて立ち帰るように招き、そして帰って来た民に豊かな恵みを与えようとしておられる。

しかし、北イスラエルの再興はなかった。それは、イスラエルの民が従わなかったから、今日聞いているこの預言は実現しなかったのだと思ってしまう。

S牧師は「けれど、もっと広い約束なのではないでしょうか。神は石ころからでもアブラハムの子たちを造る事がおできになります。神に背き続けたイスラエルですが、神の選びの民を神は癒し、その繁栄を回復されるのです。神を知らず罪の奴隷となっていた異邦人をも、神はご自分の民に加えられるのです。神の約束の中に私たちも加えられているのです。希望の実現はすぐです。」と話された。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「駅ナカの物産展にふるさとの見たことのない名物を見る  真栄城玄太」




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ホセア書 2章20節~3章5節 [ホセア書]

<主は再び、わたしに言われた。「行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように。」 (1節)>

「ホセアに神は、他の男性と不義を犯す女性を『愛せ』と命じられます。その女性はかつて結婚し、子まで授かったゴメルです。彼女は奴隷に陥っていましたが『買い戻され』、『あなたは長くわたしの下で過ごせ』と、言われます。」と、浅見牧師は書き出される。

神がホセアに「愛せ」と命じられる女性は、1章2節の淫行の女ゴメルである。そこには「娶れ」とあるが「愛せよ」命じられるのは、3章1節に入ってからだ。ホセアは先の主の命令に従い彼女を妻とし彼女を愛した。しかし、ゴメルはホセアの愛を受けながらその愛を裏切り「姦淫する女」の生活を止めなかった。主なる神はホセアの苦悩を知りつつなお「愛せよ」と、再び命じられる。

ホセアの姦淫の妻ゴメルへの不変の愛こそ、背信を続けるイスラエルへの神の不変の愛である。その不変の愛によって神は民を立ち帰らせようとされる。ホセアは自らの苦悩の結婚生活を通して、その妻への変わらない愛を啓示する器として神に用いられる。

「干しぶどうの菓子」は、バアル宗教の祭儀で用いられたもので、カナン宗教の感覚的享楽的な交わりを強調するものとして語られる。しかし、イスラエルがそういうものに心奪われていても、主はなお彼らを愛しておられるとホセアは告げてゆく。ゴメルを愛するホセアは、他の男性の奴隷となっていたゴメルを代価を支払い買い取った。

ホセアが自己犠牲をして、罪の女を買い取る愛は、主イエスが十字架の血による代価を払って、「罪の奴隷」であった私たちを救い出して下さった愛を啓示する。

買い戻したゴメルにホセアは「お前は淫行せず、他の男のものとならず、長い間わたしの下で過ごせ。私もまた、お前のもとに止まる。」と言い、ゴメルが不信ではなく真実の愛に目覚める事を願った。ホセアは自らの愛において、神のイスラエルの民に対する支配と深い愛を理解し学んでいった。

「王も高官もなく、いけにえも聖なる柱もなく・・・」そのような手段に頼って民の繁栄を求める事からの中断をアモスは告げる。カナン化したイスラエルがカナンの祭儀的習慣から離れる事が求められる。そこにカナン文化の厭うべき影響を見たからであった。イスラエルはカナンから抜け出し、汚れた影響から脱せねばならないと警告した。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「凍て土は掘っても掘っても埒あかず日も傾けば猫は火葬に  河野純子」


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ホセア書 2章4~17節 [ホセア書]

<そのところで、わたしはぶどう園をあたえ、アコル(苦悩)の谷を希望の門としてあたえる。そこで、彼女はわたしにこたえる。(17節)>

「非常に強い言葉で女性が告発されます。『淫行』『姦淫』とは、ヤハウェの神以外の神、特に地の実りの神バアルを崇め、性的な豊穣儀礼を行う意味も含まれています。民イスラエルの象徴である女性は『パンと水、羊毛と麻、オリーブ油』をくれる愛人たち、バアルを追いかけたと言われます。」と、浅見牧師は書き出される。

今週いっぱいホセア書と格闘しなければならないというのに、まったく読み解くことが出来ない。それで、いくつかの教会のネット参考にさせて頂いた。

今日の個所は、神との契約を忘れ、バアル宗教の祭儀へと走っていった背信のイスラエルに対する神の裁きが語られる。神はイスラエルの子らに「お前たちの母を告発せよ(4節)」と命じる。神はイスラエル人に、イスラエルの民を、自分自身を「告発せよ」と呼びかけられる。このように呼びかけられ、イスラエルの民の心に、神に対してもつ忠誠と背反を気づかせようとされる。

ホセアは、神とイスラエルとの間にある契約を、結婚の比喩で語る。その結婚はイスラエルの民の罪のために「彼女はもはや私の妻ではなく、私は彼女の夫ではない」と、神との離縁が告げられる。しかし神は民を捨てるのではなく、「彼女の顔から淫行を、乳房から姦淫を取り除かせよ」と言われ、イスラエルの悔い改めを求められる。

5節には「さもなければ」と審きが告げられ、その審きの真剣さが示されると同時に、神はどこまでもイスラエルの民を求めておられる事が表される。イスラエルの民は狩猟民族であったが、カナンに定着後、農耕文化の豊かさを知り、それと結びついたバアル宗教の豊饒祭儀にも憧れを持つようになった。その事は、イスラエルを主なる神から背かせる原因となっていた。

イスラエルの民は、バアル宗教の祭儀とイスラエルにおける主なる神への祭儀の間に何の区別も感じていなかった。イスラエルの民は、その供養と祭儀によって主に仕えていると信じているが、実際はカナンの地の豊穣性と結びついたバアル宗教の形式を、パレスチナに移住した際取り入れていた。ホセアはこれを背信と呼び、物質的な生活財を保証する神に過ぎないと告げた。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「高く飛ぶための助走で気づかずに僕は翼を踏んでたらしい  姉川司」



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