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ヘブライ人への手紙  13章7~19節 [ヘブライ人への手紙]

<あなたがたに神の言葉を語った指導者たちの事を、思い出しなさい。イエス・キリストは、昨日も今日も、また永遠に変わる事のない方です。(7.8節)>

「『先人の信仰を見習いなさい』と、命じられています。それは『いろいろ異なった教え』に迷わされないためです。最も大切なのはイエスが『ご自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われた』ことです。」と8月の「日毎の糧」担当、東京江古田教会中井利洋牧師は書き出される。

指導者に従う事が勧められる。たいがい牧師館は、教会堂の横に立てられている。だから牧師の日常が教会員に知られてしまい、それで時々、牧師の言動に首を傾げてしまう事もある。けれど、昨日も今日も変わる事のない主イエスにならって、その生活に一貫性があり、周囲がどんなに変わろうとも、いつでも変わらず真実の言葉を話す牧師は、教会員にとって敬愛すべき指導者である。

初代教会が立ち上がる時、食べ物についての信仰上の戦いがあった。異邦人からクリスチャンになった人々には食物制限がないが、ユダヤ教から改宗した人々は彼らと食卓を共にすることが苦痛になっていた。そのような人々に、食べ物にはとらわれず、逸脱する教えにこそ気を付けるようにと勧める。そして、「恵みによって」互いに心を強め合うようにと、恵みを信仰の柱にすることを求めた。

また、ユダヤ人改宗者の中には、主イエスが十字架に架かられた後も神殿礼拝を続けている者がいた。神殿礼拝には「罪のためのいけにえ」として動物が献げられた。いけにえは祭壇の上で脂肪の部分だけが焼かれる。あとの肉は、宿営の外の灰捨て場に運びだされ、そこで焼かれる。罪ある者とされたいけにえが、宿営の外に運ばれ焼かれて、イスラエル人から罪が無くなった事にしていた。

主イエスは、エルサレムで十字架刑の宣告を受けられた後、自ら十字架を担い、エルサレムの城門を出てゴルゴダの丘に向かわれた。罪のいけにえが、イスラエルの宿営の外でその肉体が焼かれたと同じように、主イエスの肉体は、エルサレムの門の外で引き裂かれた。

「だから、私たちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、その御許に赴こうではありませんか。(13節)」 「宿営の外に出て」とは、キリスト者としてこの世において信仰を生きる事です。と、中井牧師は結ばれる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「わたくしのカーブミラーのなかにゐて恋人だった夫が手を振る 森山緋紗」

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ヘブライ人への手紙  12章1~13節 [ヘブライ人への手紙]

<なぜなら、主は愛するものを鍛え、子として受け入れるものを皆、鞭打たれるからである。」あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神はあなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。(6.7節)>

「私たちは試練に遭います。・・・主に似た者となるために『子』としての訓練を受けているのです。自己中心の私たちが主のご栄光をこの地に成就させる器となるには、主によって創り変えられなければなりません。」と大坪牧師は書き出される。

イエス・キリストの福音を信じて生きる事を理由に、迫害の嵐にさらされる、ユダヤ教からキリスト教徒に改宗した人々を、手紙の著者は励まし続ける。激しい暴力を受ける中で、人は自信を失い生きる力がそがれて行く。今日も、激しい爆撃を受けるウクライナの人々の心を主が支えて下さいますように。

「あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、ご自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。(3節)」 度重なる迫害、暴力に、自分は価値がないかのように感じている人々に励ましの手紙を記す。イエス・キリストは十字架に架けられ、人々の怒号の中、さらし者となって処刑された。しかし、このお方こそが最も尊い存在とされているではないかと。

O牧師は「暴力にさらされ自信を失った時、私たちは暴力をふるう者の意向に応えようとする貧しさを持ちます。日本の教会が先の大戦で犯した罪はまさにこのようにして起こったのです。キリスト教は、敵の宗教だとして敵視され、礼拝には警察が説教の内容をチェックし、キリスト教学校に通う生徒は石を投げられました。ある教会では牧師、役員が投獄され、暴力的な取り調べをうけました。

しかし、一部の教会を除いてほとんどの教会が、献金を募って戦闘機を国に献げるなど、戦争に協力します。日本基督教団は、朝鮮の教会に神社参拝を強要する書簡を送りました。迫害する者の意向に沿うという事は、信仰のあるべき姿からはずれてしまうのです。」と話された。

「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。(4節)」 高鳴る軍靴の音に、信仰者の多くは、国とうまくやって行かないと教会は潰されてしまうと思っていた。そのための妥協も仕方がないと思った。抵抗を続けるホーリネス教会とは「信仰の内容が違う」と、関与を避けた。

全ての試練は、神がわが子を愛する由縁の鍛錬なのだと教えられても、自分がその時、教会員だったら礼拝はもちろん、聖書も放り投げたにちがいない。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「白く大きく泰山木の花いつか上向きしたまま茶色く素枯れぬ 黒住嘉輝」

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