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士師記  19章 [士師記]

<イスラエルには王がいなかったそのころ、エフライムの山地の奥に一人のレビ人が滞在していた。彼はユダのベツレヘムから一人の女を側女として迎え入れた。(1節)>

18.19章は共に「王がいなかった」と言う言葉で始まる。この後の20.21章も含めてこれらの出来事はヨシュアの死後間もなくの頃、士師記の初めの方の出来事だと思われるとK牧師は話し出された。

「ずいぶん酷い事が綴られますが、どうして聖書から削除される事無くこうして残っているのでしょうか。信仰者の理想的な歩みだけを注視していると、私たちは自分の現実を見なくなるのです。自らの罪が覆い隠され、罪の自覚のないままみ言葉を聞くのです。」と話された。

1人のレビ人が、定められた場所に住まず、側女と共にエフライムの山地に滞在していたが、側女は彼を裏切ってベツレヘムにある父の家に帰ってしまった。そこで彼はロバと若者を連れて彼女の父の家に向かった。彼女の父は彼を歓待し何度も出立を引き留め、やっと5日目の夕方旅立った。

ベツレヘムからエブス(エルサレム)までは7キロ、やく2時間。エルサレムの近くまで来たところで日は大きく傾いていた。若者はエルサレムで一夜をと提案したが、その頃のエルサレムには異邦人であるエブス人が住んでいたので、彼はそれを拒みギブアまで進んでいき泊まることにした。しかし、広場では彼らを家に迎える者はいなかった。そんな中、夕暮れエフライム山地出身の老人が、彼らを招いた。

「王がいなかった」ので、律法がないがしろにされ、人々は神の御心ではなく、自分にとって都合の良い事を正しいとして夫々が行動していた。レビ人として仕える事を放棄した彼もである。

老人の「安心しなさい」を聞いて、彼らは足を洗い、食べて飲み寛いでいた。しかし、そこに町のならず者が家を囲み「あの男を引き出せ。あの男を知りたい」と戸を叩きつけた。「知りたい」というのは性的関係を持つことを意味する。老人はそれを拒み、自分の娘と、彼の側女を差し出すと言った。がそれでも耳を貸さないならず者に、レビ人は側女をつかんで彼らの所へ押し出した。

あくる朝、レビ人が戸を開けると、そこに彼女が倒れ死んでいた。レビ人は彼女をロバに乗せ帰って行った。彼は家に着くと彼女の死体を12に切り、イスラエルの各部族に送った。それはイスラエルにとって見たことがないほど凄惨な事件であった。

「『王がいなかった』、神がおられなかった時代の事ですが、では今、私たちは真の王との約束に生きているでしょうか」と、K牧師は話された。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「ひとの死はすぐ遠くなりゑのころのてんでに垂るる雨の重さに  清水広子」

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士師記  18章 [士師記]

<そのころ、イスラエルには王がいなかった。またそのころ、ダンの部族は住みつくための嗣業の地を捜し求めていた。そのころまで、彼らにはイスラエル諸部族の中で嗣業の地が割り当てられていなかったからである。(1節)>

王がいなかった時代、イスラエルは混乱していた。自分では自分が何をしているのか分からないまま、人々は自分の目に正しいと見えることを行っていた。神の御心から遠く離れたことを平気で行っていた。17章はミカの姿に、18章はダン族の姿にイスラエルの堕落が示されている。

イスラエルの12部族はヤコブの子で、ダンは5番目の男子である。だから、カナンに入った時、レビ族を除いた11部族全てに土地が割り当てられていたはずだ。だから、「割り当てられていなかった」とあるのは間違いである(ヨシュア記19章)。彼らが与えられた土地に住む異邦人ペリシテ人を、主から滅ぼすように命じられたが、彼らはペリシテを恐れ、一度は手にした土地を手放してしまったのだ。

ダン族の人々は、自分たちが住む地を捜し「土地を探り、調べ」るために、勇士5人を遣わした。それは明らかに侵略の意図を持つ行為であった。5人がミカの家の近くに来たとき、レビ人の声が聞こえ、彼がミカの家の祭司になっている事を知ると、自分たちの旅が成功するかどうか、神に伺ってほしいと頼んだ。彼らは大祭司を通してではなく、ミカの家に雇われているレビ人に尋ねた。

ミカの祭司は祈る事もなく「安心して行かれるがよい。主は、あなたたちの辿る旅路を見守っておられる。」と答えた。ダン族に主が願っておられたのは、与えられた地の住民(ペリシテ人)を追い払うようにと言う事であって、他に土地を求める事ではなかった。ミカの家のレビ人はダン族の望む答えを口にしたに過ぎなかった。神の名によって人々の願望を許そうとする事が日常的に行われていた。

5人は北上し、聖書巻末の地図「3、カナンの定着」を見ると、ガリラヤ湖(キネトト湖)の北、ナフタリの横に「ダン」がある。そこには安らかに住む人々がいて、どことも軍事同盟を結んでいる様子もなく、戦う用意も備えていなかったので「彼らに向かって攻め上ろう。・・・」と5人は報告した。

ダン族の兵士とその家族、総勢3千人が出発した。途中ミカの家に着くと5人の者は彼の家のエフォド、テラフィムを奪い、レビ人には「一個人の家の祭司であるより、イスラエルの一部族、氏族の祭司である方がよいのではありませんか」とダン族の祭司となるように言った。ミカの家のエフォド、テラフィムを奪い、平然とそれを礼拝に用いようとするダン族、それを目にしてもレビ人は喜んで彼らに雇われた。

その頃、イスラエルの礼拝は、エフォド、テラフィム、祭司でない祭司によっての神のいない礼拝だった。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「縦横にすべるスケートボーダーと時にまじわるドローンの影 高松紗都子」

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士師記  17章 [士師記]

<ミカは、「レビ人が私の祭司になったのだから、今や主が私を幸せにして下さる事が分かった」と言った。」(13節)>

「士師記17章から学びます。17章から21章までの個所は、士師記のあとがきです。士師記の時代にどんなことが行われて来たか学んできましたが、その間に起こった典型的な出来事が記されます。その特徴は『そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと思えることを行っていた』という事です。」とK牧師は話し出された。

エフライムの山地に住むミカが、母の銀1100枚を奪った。彼は、母がその盗人を「呪った」事を知ると恐ろしくなり、自分が奪ったのだと言った。母は彼にかけた呪いを取り消すために「祝福がありますように」と言った。そして、彼女は銀を返されると「この銀はこの手で聖別し、主にお捧げしたものです。」といって、息子のために彫像と鋳造を造らせた。

この個所を読んだとき「なんで祝福?」と思った。母親なら叱るのが当たり前、その上、息子のために、出エジプト記で「自分のために鋳物の神々を作ってはならない」と禁じられ、十戒で禁じられている「偶像」を作って崇拝しようとするのか。2人のやり取りが、読んでいて理解できなかった。

またさらに読み進むと、ミカは自分の神殿を持ち、祭司用の服であるエボテと家の守護神異邦人の神テラフィムを作った。それだけでも律法に違反しているのに、アロンの家系から選ばれなければならない、祭司の任を自分の息子に与えた。その記事の後に「その頃イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた(6節)」と記される。

理解しがたい彼らの行動だが、彼らは自分の目でよいと思う事を行い、決してイスラエルの神、主を捨てたわけではなかった。しかし、彼らの信仰はいつしかカナンの習慣に迎合し、神の民の在り方から大きくずれてしまっていた。そしてこの事はミカだけではなく、イスラエルの民の現実の姿であった。

O牧師は「聖書から神の御心が正しく語られ、民を導く羊飼いがいなければ混乱してしまうのです。牧師がその務めを果たすことが出来ますように祈って下さい。」と言われた。

ミカは、寄留地を捜していたレビ人を自分の家に住まわせると祭司とし、これで、祭司の条件が満たされたので、主が自分を幸せにして下さると喜んだ。最初はミカの信仰を「ひとりよがり、自分勝手」とみんなで言い合っていたが、いつの間にか「それは私ではないか」と夫々が思うようになった。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「空には空の重い気持ちがあるように大雨がまた降り始めたたり  矢澤麻子」

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士師記  16章 [士師記]

<ついに心の中を一切打ち明けた。「わたしは母の胎内にいた時からナジル人として神にささげられているので、頭に剃刀をあてたことがない。もし、髪の毛を剃られたら、私の力は抜けて、私は弱くなり、並みの人間のようになってしまう。」(17節)>

「15章の最後は、サムソンが20年間士師としてイスラエルを裁いたと結ばれています。彼は主が委ねられた召命に、従順に従いました。けれど、ここで罪に陥ってしまったのです。ガザはペリシテ人の中心地で、ナジル人のサムソンがガザの町の遊女のところに入るのは、大きな罪であります。サムソンは罪に対して無感覚になっていたのかもしれません。」と、K牧師は話し出された。

「サムソンが来た」という知らせにガザの人々は彼を町の門で待ち受けた。それに気づくと、サムソンは町の門扉、2本の門柱を引き抜き、60キロも離れたヘブロンの山頂に運んだ。当時戦いに勝利した者は、敵の門扉を運び去るという習慣があった、サムソンはペリシテに勝利を宣言した。

「その後、サムソンはソレクの谷にいるデリラという女を愛するようになった。(4節)」 ペリシテの領主たちはそれを知るとデリラに、サムソンの怪力がどこに秘められているのか、彼を縛り上げる方法を探るようにと言った。そうすればデリラに領主5人が銀千百枚づつを渡すと言った。

デリラはサムソンに、あなたの強い力はどこにあるのか、どうすればあなたを縛ることが出来るのかと尋ねた。それでサムソンは最初は「弓弦」、二度目の問いかけには「新しい縄」で縛ればいいと答え、三度目の問いかけには「髪の毛を」と答えた。しかし、どの答えも真実ではないと知ると、彼女は来る日も来る日もしつこく迫ったので「サムソンはそれに耐えきれず死にそうに(16節)」なった。

そこで、サムソンは自分の心をすべて彼女に明かしてしまった。彼はこれまでも不従順な歩みをしてきたが、これによって主との関係が断絶してしまう。すべてはデリラを愛したことから始まった。罪の誘惑を早いうちに断ち切らなかったことが悲劇的な結果を招いてしまった。

サムソンは捕らえられ、両目を抉り出され、青銅の足かせを付けられ、臼を引く仕事をさせられた。主に生かされているのに、自分の力によって歩んでいると慢心した結果、屈辱の中に生きる事になったサムソンだけれど、「しかし、彼の髪の毛は剃られた後、また伸び始めていた(22節)」

サムソンは大勢のペリシテ人の前に引き出され見世物にされながら、主に祈った「神よ、今一度だけ私に力を」と。彼が、建物を支えていた2本の柱を力を込めて押すと、建物は彼と共にその場にいたすべての人の上に崩れ落ちた。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「魔女狩りのように栄螺を火であぶり運命の女(ファム・ファタール)に憧れている 高山葉月」

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