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列王記下 24章8節~25章12節 [列王記]

<彼はエルサレムの全ての人々、すなわちすべての高官と全ての勇士一万人、それに全ての職人と鍛冶を捕囚として連れ去り、残されたのはただ国の中の貧しい者だけであった。(14節)>

「バビロニアとエジプトの二大強国に挟まれ、両国の覇権争いに巻き込まれ、常に不穏な緊張状態を強いられていたユダ王国、ついに、バビロニアの王となったネブカドネツァルの手によって攻め落とされ、ヨヤキン王をはじめとした数多くの国民が、都バビロンに連れていかれ、神殿の数々の宝物も持ち出されてしまいました。」と、鍋谷牧師は書きだされる。

609年ヨシア王は戦死し、その子ヨハズヤが即位するが、三ヶ月で支配国エジプトによって廃位され、親エジプトの兄ヨヤキムが傀儡として立てられる。しかし、605年エジプトはバビロニアに敗退。それによってユダはバビロニアの支配下にはいる。ヨヤキムは当初バビロニアに従うがやがて反乱を起こしたので、エルサレムはバビロニアに包囲される。598年ヨアキムは包囲戦の中で捕らえられバビロンに連行された。

主はバビロニア軍への援軍としてカルデア人、アラム人、モアブ人、アンモン人の部隊を送られる。「主はその僕である預言者たちによってお告げになった主の言葉の通り、ユダを滅ぼすために彼らを差し向けられた。(2節)」 聖書はユダの滅亡は神からの懲らしめであったと記す。

598年ヨヤキンが王となったがエルサレムは陥落し、王や高官はバビロンに連行される。ヨヤキン退位後ゼデキヤが王として立てられた。ゼデキヤは当初バビロニアに従ったがやがて反乱を起こしたが捕らえられる。587年エルサレムは破壊され神殿は焼失した。国は滅び、王宮も神殿も崩壊した。その中で人々はバビロン捕囚となった者に回復の望みを託し、この列王記をバビロン捕囚の状態の中で書き綴る。

しかし、王の末路は厳しい。「王は捕らえられ・・・バビロン王のもとに連れて行かれ裁きを受けた。彼らはゼデキヤの目の前で彼の王子たちを殺し、その上でバビロン王は彼の両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った。(25章6.7節)」

O牧師は「そのゼデキヤは捕囚となって37年目出獄します。そして、彼と主イエスがつながると、思わせるのがマタイ書1章です。『バビロンに移住させられた後、エコンヤは・・・』とキリストの系図の中に、謎めいた言葉があるのです。」と話された。

「『草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい(イザヤ書40章)』とあるように、人の世の儚さを思わされます。しかし『私たちの神の言葉は永久に立つ(同8章)』のです。いかに繁栄していようとも、いつか必ず滅びる罪人である私たちです。」と鍋谷牧師は結ばれる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「制服のままで羽化する四月から十八歳は成人となり  春野あおい」


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列王記下  23章1~10節 [列王記]

<それから王は柱の傍らに立って、主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されているこの契約の言葉を実行する事を誓った。民も皆、この契約に加わった。(3節)>

「ヨシヤ王は、神殿で見つかった律法の書を皆に読み聞かせ、あらためて、この律法の契約を実行すると民と共に誓いました。そして、神殿に置かれ、町々に立てられていた異教の偶像を、壊させました。」と、鍋谷牧師は書きだされる。

ヨシヤ王(640~609年在位)は8歳で王となり、31年間王として南ユダ王国を治めていた。「彼は主の目に適う正しい事を行い、父祖ダビデの道をそのまま歩み、右にも左にもそれなかった。(22章2節)」。彼は改革したことで有名な王であるが、そのきっかけは神殿を修復する中で、律法の書が発見された事から始まった。この律法の書とよばれる書物は申命記の一部であったと考えられている。

「この見つかった書の言葉について、私のため、民のため、ユダ全体のために、主のみ旨を尋ねに行け。我々の先祖がこの書の言葉に耳を傾けず、我々についてそこに記された通りに全ての事を行わなかったために、我々に向かって燃え上がった主の怒りは激しいからだ。(22章13節)」と王はこの律法の書が読み上げられると衣を裂いて嘆いた。

主の怒りを知ったヨシヤ王は、主の御旨を尋ねるために女預言者フルダのもとに祭司たちを遣わした。彼女は「見よ、私はユダの王が読んだこの書の全ての言葉の通りに、この所とその住民に災いを下す。彼らが私を捨て、他の神々に香を焚き、自分たちの手で造った全てのものによって私を怒らせたために、私の怒りはこの所に向かって燃え上がり、消えることはない。」と、御告げを伝えた。

続けて、ユダの王に向けて「私がこの所とその住民につき、それが荒れ果て呪われたものとなると言ったのを聞いてあなたは心を痛め、主の前に遜り、衣を裂き、私の前で泣いたので私はあなたの願いを聞き入れた。・・・私はあなたを先祖の数に加える・・・」と、御告げを伝えた。

「そこで王は人を遣わして、ユダとエルサレムの全ての長老を自分のもとに集めた。」 そして全ての民と共に主の神殿に上り、主の神殿で見つかった契約の書の全ての言葉を彼らに読み聞かせた。

神殿の中にまで、町のいたるところに置かれていた多くの偶像が壊された。ユダ王国も完全に異教にのみ込まれていた。「それでも、悔い改める民を神は憐れんでくださいます。神は堕落した民と新しい契約を結んでくださいます。」と鍋谷牧師は結ばれる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「帰り来て五時間前のスリッパの私の足にわたしを添わす  広瀬明子」

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列王記下  19章20~37節 [列王記]

<ユダの家の中で難を免れ、残った者たちは再び根を下ろし、上には実を結ぶ。エルサレムから残った者が、シオンの山から難を免れた者が現れ出る。万軍の主の熱情がこれを成就される。(19.20節)>

「大国アッシリアですら、神の計画の一部でしかない事、ユダの残された民はその地で再び実を結ぶことがイザヤの口から語られます。主が紡がれる言葉からアッシリアに対する痛烈な皮肉と怒りを感じます。」と海老原牧師は書きだされる。

ヒゼキヤの祈りを聞かれた主は、彼の祈りに応えられ預言者イザヤを通して語られた。「お前は誰をののしり、侮ったのか。誰に向かって大声を上げ、高慢な目つきをしたのか。イスラエルの聖なる方に向かってではなかったか。・・・その驕りが私の耳にまで昇ってきたために、わたしはお前の鼻に鉤をかけ、口に轡をはめ、お前が来た道を通って帰って行くようにする。」

S牧師は「詩的表現が用いられますが、一つの明確なテーマがあります。アッシリアは、広い地を所有し、城壁のある町々を奪い、征服者のようにやって来ます。彼らは自分たちの力がすべてを屈服させたように思っていますが、それは間違いです。主権者である神が歴史の主としてご自分の計画として、彼らを用いられていることを告げられるのです。」と話された。

「お前が座っているのも、出て行くのも、入って来るのも、私は知っている。また私に向かって怒りに震えている事も。(27節)」 S牧師は「神様の前には全てがバレバレです。その上で愛して下さり、導いて下さり、決して捨てないと、おっしゃって下さるのです。」と続けられた。

主は、アッシリアの王センナケリブは来た道を引き返し、この都に入城する事はないと言われ「私はこの都を守り抜いて救う。私自らのために、わが僕ダビデのために(34節)」と告げられた。その夜、主のみ使いが現れアッシリアの陣営18万5千人を撃った。アッシリアの王センナテリブはそこを立ちニネベに帰り、自分の神の神殿で礼拝を捧げていると、その息子たちが来て彼を剣にかけて殺した。

「イスラエルに対する救いは、イスラエルの敵への裁きとなっていることを思い知らされます。しかし、忘れてはならないのは、この怒りはイスラエルに向くこともあるという事です。この預言は、私たちにも、アッシリアのようになることがないように、神を侮る事がないように、神の計画を人が全て知る事は出来ないと警告します。」と海老原牧師は結ばれる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「お笑いの画面変えればミサイルはアパート砕き爆発をせり 西真行」

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列王記下  19章1~19節 [列王記]

<わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なるかみであることを知るに至らせて下さい。(19節)>

「贈り物を受け取ったにもかかわらず攻め込んできたアッシリアの挑発に対し、ヒゼキヤたちは恐れと悲しみを表します、そして預言者イザヤを通して神により頼もうとする姿が描かれています。」と海老原牧師は書きだされる。

先にヒゼキヤはアッシリアに贈り物をして難を逃れたが、アッシリアが望んでいるのはユダを支配下に置くことではなく、ユダを滅ぼしてその領土をアッシリア帝国に取り込むことが目的なのだと、ヒゼキヤは気付いた。そうなれば北イスラエル同様ユダ民族も永久に滅んでしまう事が分かった。列王記18~20章はそのままイザヤ書36~39章に引用される。

アッシリア軍はユダヤの重要拠点ラキシュを落とし、今はリブナの町を攻略している。アッシリア王はそこから再度の降伏勧告をヒゼキヤ王に送る。「お前がより頼んでいる神に騙され、エルサレムはアッシリア王の手に渡されることはないと思ってはならない。お前はアッシリアの王たちが全ての国々を滅ぼし去るためにおこなった事を聞いているであろう。それでもお前だけが救い出されるというのか。」と、迫った。

ヒゼキヤは屈辱の中で主の神殿に上り、救済を祈った。「イスラエルの神、主よ。あなただけが地上の全ての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。・・・わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なるかみであることを知るに至らせて下さい。(19節)」と。

「立ち帰って静かにしているならば救われる」ヒゼキヤはこのイザヤの言葉に励まされて、アッシリアに屈することはなかった。その結果、ユダ王国は滅びを免れ、それから130年間安泰であった。

O牧師は「ユダ王国もアッシリアの前に滅びる寸前でしたが、そこにひとりの信仰者ヒゼキヤがいたため、神はその裁きを130年間先伸ばしされました。これは歴史的に重大な意味を持ちます。もしユダがアッシリアに屈していたら、ユダ民族はそこで歴史から消えていたでしょう。そうなれば、ユダヤ人の子として生まれられた主イエスは、ペトロやパウロ、私たちの教会は・・・。しかし、ユダ王国は滅びを免れました。ここに神の経綸、歴史を支配される神の働きがあるのです」と話された。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「兄ちゃんが数え始めて弟は飛ばしたりして百に追いつく 川井典子」


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列王記下  18章1~37節 [列王記]

<彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った。(6節)>

「久しぶりの安心感と言いますか、こわばっていた体から緊張が抜けていくような気さえします。ユダの王となったヒゼキヤは『主の目にかなう正しい事をことごとく行い』ました。ようやく、主に背かず離れない王が登場します。」と海老原牧師は書きだされる。

預言者エリシャが案じながら死んでいった北イスラエル王国の行く末であったが、ヤロブアムⅡ世は41年間王位にあり繁栄を極めた。しかし、列王記の評価基準は「王がどれだけ領土を広めたか、どれだけ繫栄したか」ではなく、「主の前に正しかったか」である。彼は王として有能であったが、貧富の格差は拡大し、道徳的には腐敗した時代であった。

ヤロブアムⅡ世の死後、短期間で王が次々に代わり政情不安が続いた。そしてついに722年首都サマリアは陥落してしまった。住民は捕虜としてアッシリアに連れ去られ、占領地には新しい住民が移され、その結果北王国を形成したイスラエル10部族は完全に消滅してしまった。

こういう中、ヒゼキヤ(716~687年)はユダの王に即位した。即位当初、ユダはアッシリアへの従属状態であったが、アッシリア王の死によってアッシリア帝国の至る所で反乱が起きた。その機に乗じ、ヒゼキヤはアッシリアへの供物を中止し、隷属関係を破棄した。そして「彼は父祖ダビデが行ったように、主の目に正しい事をことごとく行い(3節)」、アシュラ像をはじめ高台、石柱を取り壊し青銅の蛇も打ち砕いた。

ヒゼキヤはバビロニア、エジプトと関係を深め、反アッシリアの盟主となり、これに同調しないガザを攻め占領した。また、エルサレムの町の防備を強化し水確保のための用水路を作った。しかし、アッシリアは王センナケリブが即位すると、次々と諸国を屈服させ、エジプトを撃破し、その後ユダに侵入しエルサレムを包囲した。この時、ヒゼキヤはラキシュにいるアッシリア王に人を遣わし「私は過ちを犯しました」と言った。

そして、国庫を空にするほどの膨大な貢物をアッシリアに納めて、国の滅亡から免れた。ほっとしたのも束の間数年後、アッシリアの大軍はエルサレムを包囲し降伏を求めた。「エジプトに頼っても何もならない」「主に頼むというが、主は何をしてくれるのだ」「お前たちの軍事力は貧弱だ」と嘲笑した。

そして「すべての神々の内、どの神が自分の国を私の手から救い出したか。それでも主はエルサレムを私の手から救い出すというのか」と言った。王から答えてはならないと戒められていた人々は、押し黙ってひと言も答えなかった。

ヒゼキヤはアッシリア王の言葉をイザヤに伝え、神は答えられた。「立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼している事にこそ力がある。」

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「潮風を喜ぶ父の車椅子押して岬の灯台までを  宮脇泉」


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