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ヨエル書  2章12~17節 [ヨエル書]

<主は言われる。「今こそ、心からわたしに立ち帰れ、断食し、泣き悲しんで。衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け。」あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富み、くだした災いを悔いられるからだ。(12.13節)。>

「今日から受難節が始まります。主の十字架の苦しみを覚えて、罪赦された恵みに感謝し歩みたいと思います。預言者ヨエルはいなごの大群が押し寄せて農作物を食い荒らすように、やがてアッシリアやバビロンが攻めてきて、イスラエルは滅ぼされてしまうだろうと告げて、神様から心が離れている人々に悔い改めを呼びかけました。」と村上牧師は書きだされる。

今日は「灰の水曜日」と呼ばれる「受難節(レント)」の始まりの日である。教会はイースター前日までの40日(日曜日を除く)を、主イエス・キリストの受難を偲び、断食などの節制を心掛ける期間と定めた。クリスチャンとして各々の罪を自覚し、聖書の民が灰を被って悔い改めたように過ごす。カトリック教会では、ナツメヤシや棕櫚の枝を燃やしてできる灰を用いて「灰の儀式」を行うと聞いた事がある。

ヨエル書の2章までの前半部分は、バビロン捕囚後に語られた預言者の言葉がまとめられたものだとされているとO牧師は話された。すさまじいいなごの害が言及される。現代でも、ユーラシア大陸を横断するような大規模で広範囲ないなごの害が報じられた事がある。

イスラエルもまたしばしばその害に遭っていた。「北からの脅威」すなわち「バビロニアの侵攻」の有様は、それに比すべき災禍であり、ユダ王国は崩壊し神殿が壊滅させられた。それはいなごの害によって壊滅してしまった、実り豊かな美しかった田畑と同様であった。

主は言われる。「今こそ、心から私に立ち帰れ、断食し、泣き悲しんで。衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け。」 「衣を裂く」とは、愛する者が失われた時に、近親者が哀悼の意を表する振る舞いの事であるが、それを形式的な儀礼にとどめず、心、はらわたにまで及べと言われる。神の前に、隠されている自分の真が全く現される事なしに、恢復や新たな出発はないのだと。

放蕩息子は、財産を使い果たし、衣服も破れ、身も心もボロボロになった時、父を思い出し家に帰る。「主に立ち帰る」とは、この放蕩息子の姿である。懐かしい父である「神」に対して、彼は「心を引き裂いて」まったくスッカラカンの状態であった。その彼を見て走り寄り、神は抱きしめて下さるのだ。

「主イエスは、私たちが自分の力ではどうにも解決できない罪を背負って死んで下さいました。ここに、私たちの帰るべき本当の居場所があります。」と村上牧師は結ばれた。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「夕方の雪と一緒に谷あいの人から温(ヌク)いおこわが届く  高原さやか」


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