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ヨハネの黙示録  12章1~6節 [ヨハネの黙示録]

<女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治める事になっていた。子は、神のもとへ、その玉座を引き上げられた。(5節)>

「私たちは必ず何かの支配下にいます。何かのとりこになっている、といってよいかもしれません。例えば、権力のとりこになる人もいれば、お金に支配されている人、欲望のとりこになっている人もいます。そこには、本物の平安はありませんが、私たちはその支配を受けてしまい、不安に支配される事になります。」と、服部牧師は書きだされる。

「天に大きな徴(しるし)が現れた。」と1節は書き出され、3節には「また、もう一つのしるしが天に現れた。」と続く。ヨハネが見た幻を12章で初めて「しるし」と言っているのは、「しるし」という時にはこの幻は、預言的な意味を持っているとヨハネは判断した。それが「天に現れた」とはどういうことか。

ここで「天」というのは神の御座ではなく、「空」であり、そこに身ごもっている一人の女を見た。もう一つは「大きな赤い竜」。女性は男の子を産んだが、それではマリアと主イエスと考えていいのだろうか。仰々しい登場から清楚なマリアをイメージできないが、その事についてヨハネは語っていない。

S牧師は「ヨハネはここで主イエスの時代に何があったのかを問題にしていません。彼の最大の関心は『霊的真理』だけに向けられているのです。」話された。牧師の話さえ難しい。彼女は男の子を産んですぐ荒野に逃げるが、その記述は福音書のどこにもない。また、産まれた子供を食い尽くそうとする竜は、ヘロデだとする説は適当ではないが、男の子は主イエスだと思うとS牧師は話された。

この黙示録を記したヨハネは、主イエスが十字架に架かった時に、主の母であるマリアを託された人とされている。ここに登場する女は、太陽をまとい月を足の下にして、十二の星の冠を被り、神の子イエスを産み出した。すなわち、イスラエル民族の祖、神の民ユダヤ人を産んだという事になる。主イエスの先祖を産んだのである。「女」という言葉は抽象的な表現だとS牧師は話される。

イスラエルの民は旧約聖書に記される預言に基づいて、早くからメシアの来臨を信じ待ち望んでいた。しかし、それが実現するには多くの苦難があった。例えば、アッシリア、バビロンに蹂躙され、北イスラエルは国が壊滅し、南のユダは民族ごと捉われ捕囚の屈辱を受けた。

「女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこにはこの女が1260日の間養われるように、神の用意された場所があった。(6節)」 1260日は永遠、主を信じる者を神が永久に養って下さるとヨハネは記す。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「子蜥蜴も春の花 あたたかな石に根っこのような指をひろげて 音平まど」


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ヨハネの黙示録  11章14~19節 [ヨハネの黙示録]

<「この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。」(15節)>

「この世は誰のものであるか。この問いの前で、私たちは世の諸霊と相対し、自らの無力に絶望したくなることがあります。この世は神が造り、神が支配して下さるはずなのに、との思いをぬぐい切れずにいます。」と、信徒の友「日毎の糧」5月号講解担当、服部修牧師は書きだされる。

第七の天使がラッパを吹くと、天に様々な大声があって、こう言った。「この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。」。神がご自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられた。それは、これから起こる事の先取りである。

地上では、この後にも様々な艱難が待ち受けているのだが、天上では無数の天使たちが賛美の声をあげていた。主なる方は、イスラエルの王であるだけでなく、全ての国の王であると。それを聞く預言者たちは、イスラエルに対する裁きの言葉だけでなく。アッシリアやバビロン、モアブ、エジプトに対する裁きの言葉を記している。

「国々にふれて言え、主こそ王と。世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない。主は諸国の民を公平に裁かれる。天よ、喜び祝え、地よ、喜び踊れ。海とそこに満ちるものよ、とどろけ。・・・主は来られる、地を裁くために来られる。主は世界を正しく裁き、真実をもって諸国の民を裁かれる。(詩編96章)」

天使たちの讃美に続いて24人の長老はひれ伏して神を礼拝し「今おられ、かつておられた方、全能者である神、主よ、感謝いたします。大いなる力を振るって統治されたからです」と言った。彼らは、高いくらいの天使だったと思われる。「統治された」と天上においてすでに起こった事として神に感謝を献げる。

彼らは続いて神の裁きについて語る。「異邦人たちは怒り狂い、あなたも怒りを現わされた。死者の裁かれる時が来ました。・・・地を滅ぼす者どもを、滅ぼされる時が来ました(18節)」 ここでの「異邦人」とは、主イエスを信じない者たち。神が地を滅ぼす者たちを滅ぼされる時が来たのである。

厳しい迫害に故郷を追われ、家族も亡くし、それでも主を信じる人々は神に祈り続け預言者の言葉によって光を見つづけていた。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「ふはふはと言われるままに試着して春のスカート買ひてしまえり 岡田ゆり」


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ヨハネの黙示録  11章1~13節 [ヨハネの黙示録]

<彼らの死体は、たとえてソドムとかエジプトとか呼ばれる大きな都の大通りに取り残される。この二人の証人の主も、その都で十字架につけられたのである。(8節)>

「『四十二か月の間』、つまり3年半にわたり、エルサレムの都が異邦人によって踏みにじられるのをヨハネは見ました。そのただ中にイエス様を証し続ける2人もついにイエス様と同じように殺されてしまいます。でも、イエス様が蘇られたように、彼らもまた命の息を吹き込まれて立ち上がるのです。」と、清藤牧師は書きだされる。

1世紀末ローマ帝国領の全ての者は、神であることを公言していたローマ皇帝に祈りや犠牲を献げるように命じられた。それを拒否した者はローマ帝国に対する反逆者とみなされ死に追いやられる事もあった。キリスト者たちは教会が滅ぼされる、神が世界を統治するという希望に対して何が起こるのだろうかという不安の中にあった。黙示録の著者ヨハネは、その人々に答える神の言葉を受け取った。

ヨハネは「神殿と祭壇とを測り、またそこで礼拝している者たちを数えよ(1節)」と命じられる。ダニエル書9章によると、彼が捕囚の地バビロンで祈りを献げていた時、「あなたの民とあなたの聖なる都については70週が定められている」という御告げを受けた。1週が7年なので490年。主イエスはエルサレム神殿再建から後に来られ、十字架刑を受けられた。その70年後、神殿は崩壊された。

エルサレムの町は破壊されて、主を信じる人々は世界中に離散し、異邦人によって踏み荒らされる町となった。主イエスは「人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。(ルカ書21章)」と預言されている。

ダニエル書7~9章の預言通り艱難は続いた。「誰にも、どのようにも、騙されないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、・・・彼は全て神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座をもうけ、自分こそ神であると宣言します。(テサロニケⅡ3章)」と、パウロは預言した。

ゼカリヤ書の2本のオリーブの木、2つの燭台が証人として登場する。捕囚を解かれた人々が神殿再建を行うが、異邦人の阻害にあい難航していた。しかし、預言者ハガイとゼカリヤはイエス・キリストが再臨された後のエルサレムの事を預言して人々を鼓舞した。

正直言って、頭にイメージする事も出来ず、注解書も理解できない。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「白い部屋白いテーブルの向こうからカウンセラーはのっぺり笑う 両角美貴子」


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ヨハネの黙示録  6章1~17節 [ヨハネの黙示録]

<小羊が第五の封印を開いた時、神の言葉と自分たちの証のために殺された人々の魂を、私は祭壇の下に見た。(9節)>

「ヨハネは子羊なるイエス様によって巻物の封印が開かれるのを見ました。封印が一つまた一つと開かれるごとに、平和を奪う殺し合いや飢饉が広がり、また疫病が蔓延したり、地震が起こったりしたのです。その時にはどんな高い地位にある者も逃れる事はできず、耐えうる者はありませんでした。」と、清藤牧師は書きだされる。

小羊、すなわち主イエスが七つの封印を一つずつ解いて行かれる。最初の封印を解かれた時、四つの生き物のうちの一つが、雷のような声を出して「出て来い」と叫んだ。出て来たのは「白い馬」。騎乗する者は弓を持ち、冠が与えられ、勝利を得ようと出て行った。

第二の封印は「赤い馬」。騎乗する者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。そして大きな剣も与えられた。第三は「黒い馬」。騎乗する者は、手に秤をもっていた。第四は「青白い馬」。騎乗する者の名は「死」、これに「陰府」が従っていた。彼らには地上の1/4を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威が与えられた。

ファンタジーとして楽しく読み進みなさいと勧められたものの、孫のゲームに登場するような場面である。最初の「白い馬」は、再臨されたイエス・キリストだろうか。それにしても弓を持たれる事は無い。主は御言葉という鋭い剣で対峙される。また、権威の象徴である冠を主イエスは冠られない。さらに「勝利を得ようと」はされない。主イエスはすでに勝利して、神の右の座についておられる。

主の再臨によって平和が地上を支配するが、4節以降をみると地上は戦争と死である。S牧師は「つまり、この人物は偽キリストです。主に似たような特徴を持ちながら、実は反対の事を行う人物、テサロニケⅡ2章に記される『不法の人』です。彼は全て神と呼ばれる者、また礼拝される者に反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮に座をもうけ、自分こそ神であると宣言します。」と、話された。

第二の「火のように赤い馬」とは、戦火、または血の色なのか。反キリストが強大な軍事力を持つことが表される。次の「黒い馬」、小麦の値が記されるが、これは不況、飢饉、飢餓をあらわす。しかし、オリーブ油とぶどう酒は値が上がる事は無く、裕福な人々への影響はなかった。

傲慢な為政者、戦争、不況、飢餓に続いては「青ざめた馬」、1/4が「死」を迎えると。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「曇天に始業のチャイム 病床に聞けば澄むなりどんな音でも 染川ゆり」


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ヨハネの黙示録  5章1~14節 [ヨハネの黙示録]

<すると、長老の一人が私に言った。「泣くな、見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開く事が出来る。(5節)>

「ヨハネは神さまの手に封印で閉じられた巻物があるのを見ました。でもこの巻物を開くにも、見るにも、相応しいものは見つかりませんでした。巻物に記された神さまの御心が分からない。その巻物を開く事が出来るのは、ダビデのひこばえなるイエス様でした。」と、清藤牧師は書きだされる。

囚人として獄中にあったヨハネは、礼拝を一人で献げていたある日曜日「ここに上って来い」という主イエスの言葉を聞いた。5章に入ってもこの礼拝は続けられていた。そこでヨハネは「玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で閉じられていた(1節)」。そして天使が、この巻物の封印を解く者が誰かと大声で叫んでいた。

ヨハネはローマ帝国の激しい迫害の中でも信徒たちに「神を信頼し、信仰を守り抜くように」と絶えずみ言葉を語って来たリーダーの一人であった。しかし、迫害は治まることなく彼は囚人となり、信徒たちの中には殉教した者もでた。これから教会は、兄弟姉妹はどうなるのか、彼らに問われてもヨハネ自身も分からなくなっていた。彼は巻物の中身を知りたいと痛感したが、誰も開く事は出来なかった。

この巻物を開くにも、見るにも、相応しい者は見つからずヨハネは激しく泣いた。「すると、長老の一人が私に言った。『泣くな、見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開く事が出来る。』」と。

「ユダ族から出た獅子」とは、創世記49章で、ヤコブの息子の一人であるユダの家系から勝利をもたらす王が輩出すると預言されている。「ダビデのひこばえ」とは、ダビデの家系は一度絶えてしまったように見えるが、その家系から新たにある人物が現れるという。旧約が預言したユダ族に属するダビデの家系に「約束の救い主(メシア)」が現れて、この封印を開く事が出来ると長老の一人が告げた。

「私はまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。(6節)」 ヨハネが見たそれは、神殿にいけにえとして献げられ死んでしまった小羊ではなく、一度は確かに死なれたが、そこから復活された主イエス・キリストを指し示していた。

「七つの角(力)」「七つの目(全地に遣わされる神の霊)」、聖書で「七」は完全数とされる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「わけありの林檎も剥いてみせましょうひとしく春の裸身となりぬ 春野あおい」


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