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コロサイの信徒への手紙  3章1~4節 [コロサイの信徒への手紙]

<さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。(1節)>

祈祷会は、日本キリスト教団出版局発行の「信仰生活ガイド『使徒信条』」を学ぶ。今日はその第6日<「使徒信条 6,天に昇り、全能の父なる神の右に座したまへり」 ―キリストのご支配のもとに生きる>と題された、日本基督教団仙台北三番丁教会 佐藤司郎牧師の記事を読んだ。

「使徒信条のこの箇所で、私たちが第一に注意しておきたいのは、完了形で言い表されている『天に昇り』までと異なり、『全能の父なる神の右に座したまへり』が現在形で言い表されている事です。この『現在』は、信条が成立した二世紀の時点での現在というだけでない。それは、いつの時代も、これを告白する者にとって、その都度現在なのです。」と、佐藤牧師は書きだされる。

そして「『われ信ず』と告白する時、かつていましたイエス・キリストは、今神の右に座しておられると、私たちは告白しているのです。我らの主はいま神と共におられる、というのが、私たちの信仰の明確な認識でなければなりません。」と、続けられた。

転居したので自宅に近い今の教会に転会した。すると、教派が違うので「使徒信条、信仰告白」の文言が数箇所違い、礼拝で唱和するのに混乱してしまう。それで、日課の散歩のとき「新信仰告白」を繰り返し暗唱している。それで気づいたのだが「我は天地の・・・」というのを「私は天地の造り主・・・を信じます」と、口語で言うと迫力があり「私は信じているのか」と、自問させられている。

「神の右に座し」について佐藤牧師は「右の座とは、私たちのイメージする居場所ではなくて、そこにつく者の立場と権能を意味します。主イエスは、主なる神によって王としての権威と全権を行使するように招かれたという事です。」と記されている。礼拝で唱和しながら頭の中で2つの椅子を浮かべて、じゃぁ、三位一体はどうなるのと考えていた。信仰は頭で考えてはならないのに。

「復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、私たちのために執り成して下さるのです。(ローマ書8章)」 パウロによれば、この世のどんな力も、私たちを神から引き離す事のないように、主イエスは神の右に座して神に執り成し続けて下さっている。愚かな貧しい者のために。

「歴史の主は人間ではなくて、主イエス・キリストの神です。人間の行動が神の義を実現したり、それにとって代わることは出来ません。歴史の真の主は、暴力によってではなく、和解の言葉によって歴史を導きます。今日キリストの支配の下に生きるとは、私たちが、この和解の言葉に従って生きる事です。」と佐藤牧師は結ばれる。けど、今日も多くの戦死者が報じられた。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「部屋干しのシャツがかすかに揺れてゐるやうな時代の出逢ひがほしい 吉田達郎」


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コロサイの信徒への手紙  3章1~17節 [コロサイの信徒への手紙]

<互いに忍び合い、責めるべきことがあったとしても、赦し合いなさい。主があなた方を赦して下さったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、全てを完成させるきずなです。(13.14節)>

今日の祈祷会・聖書研究会は、<増田琴著、信仰生活ガイド「信じる生き方」>の中から、日本キリスト教団 仙台北三番町教会、佐藤司郎牧師著「平和 すべての被造物との平和を実現するために」が取り上げられた。

「連日のウクライナのニュースに私達は『平和を』と、神様に祈らないではおれません。戦争、核兵器、原子力発電所、またどうしようもない自然災害、私たちは不安定を抱えて毎日を過ごしています。そんな私たちに今日のコロサイ書は何を示しているのでしょうか。」とK牧師は話された。

そして「国と国、人と人、和解とは難しいものです。ヤコブとエサウの兄弟の和解には20年かかりました。互いの気持ちがすれ違い、和解出来ないまま終わる事もあります。平和を生み出す事はそれほど難しく、神の前でへりくだり、自分の正しさを優先させず、自分の罪を見つめ、しかしそのような者が神に赦され、愛されている事を知る、神が与える真の和解が、平和なのです」と続けられた。

「あなた方は神に選ばれ、聖なるものとされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい(12節)」 無条件で神に選ばれ、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容の衣をまとわせていただいている私たちに、赦し合う事が命じられる。それが平和への道だと。

そして「何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって父である神に感謝しなさい。(17節)」とパウロは命じる。自分の言葉に、態度に、行動にいつも主イエスの御心が、愛が宿りますようにと祈るようにしなければならない。この姿勢で生きる事が出来たら、人と人との争いはかなり回避され、平和が生み出される。

ノーベル賞を受賞されたマザーテレサはその時の記者の「世界平和に貢献するためには具体的にどうすればいいのですか」と質問され「世界平和に貢献するためには、どうぞ今日はうちに帰って家族を大事にしてあげて下さい」と答えられたということだ。

K牧師も「明日の事を思い煩わず、全てを神に委ねましょう。そして、身近な家族や知人を愛する事だと思うのです。そんな小さな人間関係が重なって、平和が生み出されるのです。それが私達の罪の為十字架に架かられた、主が示される『平和』なのです。」と結ばれた。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「ああこんな母であったらいいのにと人の歌詠むたびさう思ふ  石川休塵」


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