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ダニエル書  10章1~14節 [ダニエル書]

<「ダニエルよ、恐れることはない。神の前に心を尽くして苦行し、神意を知ろうとし始めたその最初の日から、お前の言葉は聞き入れられており、お前の言葉のためにわたしは来た。」(12節)>

「バビロンに捕らえ移された時、「少年」であったかつてのダニエルは「キュロスの治世第三年」の時にはすっかり老人となっていた事でしょう。けれども、彼が祈り、願っていたエルサレムの回復は、なおも果たされずにいました。そのためかダニエルは「三週間にわたる嘆きの祈り」を主にささげました。」と高多牧師は説かれる。

ペルシャの王キュロスの治世第3年は、ユダヤ人のエルサレム帰還の2年後BC534年頃と考えられる。ダニエルはすでに高齢であったが、チグリスの川岸で美食を遠ざけ、肉酒を断ち、体には香油を塗らず、3週間嘆きの祈りをしていた。そこに体は宝石のようで、顔は稲妻のよう、目は松明の炎のようで腕と足は青銅の人が大声で話し始めた。この幻を見たのは大勢の中でダニエルだけだった。

ダニエルは力が抜け、打ちのめされその姿は変わり果て、気力がなくなっていった。その人の話し声を聞くうちダニエルは意識を失い倒れてしまった。しかしその人はダニエルに触れて彼を引き起こし「愛されている者ダニエルよ、私がお前に語ろうとする言葉をよく理解せよ。そして、立ち上がれ、私はこうしてお前の所に遣わされて来たのだ。」と言った。

こう話しかけられて震えながら立ち上がったダニエルに再びその人は、神意を知ろうとし始めたその最初の日から、お前の言葉は聞き入れられており、その答えをもってダニエルのもとに来たと言った。途中、ペルシャの天使長(ペルシャの地を支配している悪天使)に立ちふさがられたが、天使ミカエルの助力を受け、自分は「お前の民に、将来起こるであろうことを知らせるために来た。」と言った。

ものも言えなくなったダニエルは再び触れられ話す力が与えられる。「この幻に私はたいそう苦しみ、力を失いました。どうして私のようなものが主と話す事が出来るでしょうか。力は失せ、息も止まらんばかりです。」と答えた。するとダニエルは再び触れられて「恐れることはない。愛されている者よ、平和を取り戻し、しっかりしなさい」と言葉が与えられた。

「お話し下さい」と言うダニエルにその人は、エルサレム帰還はペルシャとの戦いであり、その後にギリシャの地を支配するサタンの妨害に遭うと告げる。しかし戦うのはユダヤの守護天使長ミカエルである。「真理の書に記されている事をお前に教えよう。天使長ミカエルのほかに、これらに対してわたしを助ける者はないのだ」と、ユダヤの勝利が告げられる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「ついさっき川になりたる坂の道雷雨が去って蟹が横切る 藤田幸子」


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ダニエル書  9章20~27節 [ダニエル書]

<「ダニエルよ、お前を目覚めさせるために来た。お前が嘆き祈り始めた時、御言葉が出されたので、それを告げに来た。お前は愛されている者なのだ。このみ言葉を悟り、この幻を理解せよ。」(23節)>

「主なる神はのたうち回るようにして主に祈っていたダニエルに対して、天使ガブリエルを遣わし、彼に『触れ』真っ先に告げられました。『お前は愛されている者なのだ』と。このお告げはどれほどダニエルを強くしたことでしょう。」と高多牧師は説かれる。

エルサレムの荒廃はBC605年から既に始まっていた。主がエレミヤに告げられたイスラエル再興までの70年の期間が満ちるまであと数年であった。そこでダニエルは主なる神を仰ぎ、断食し粗布をまとい灰を被って祈りをささげた。彼はエルサレムが壊滅し捕囚の身とされたのは、自分自身の神に対する故意の不従順、神との契約を破った罪のためで、この罪に対する自身の悔い改めが不十分であった事に気付く。時は迫っている、彼は真剣に悔い改め、罪の赦しを求める祈りをささげた。

ダニエルは自分の罪の赦しだけを願うのではなく、繰り返し「私たち」という表現を使い、自分の事として民全体の罪を告白し、赦しを願う。彼が赦しを求め願うことは、主なる神の名誉挽回である。当時の戦いの勝利はその国々の神々の勝利とされていたので、イスラエルが壊滅し、主なる神のみ名は辱められていた。「私の神よ、ご自身のために、救いを遅らせないで下さい」と祈った。

こうして祈っているダニエルのところにガブリエルが飛んできて彼に触れた。そして、ダニエルの祈りにみ言葉が出されたのでそれを告げると言った。

ダニエルはエレミヤの預言を通し、エルサレムの回復は、エルサレム荒廃から70年後に起こると知らされていた。しかし、ガブリエルは、真の回復は「70週が定められている」と告げる。そして、神が考えておられる回復とは、ダニエルが想定している以上の回復で質も規模も比較にならないものであると告げる。

538年、キュロス王の布告によってユダ国民はエルサレムへの帰還がかなえられ、520年エルサレム神殿再建を開始するが、多難が続いた。ユダの地はペルシャ、ギリシャ、ローマの属国となり、主イエスの召天された後、70年ローマによって神殿は破壊され、迫害を受けユダヤ人は各地に離散する。

信仰の道なのに苦難の連続である。しかし、主の祈りの「御国が来ますように」という願いが、70週たてば、完全なかたちで成就する。という事らしいが、自分には「70週」がわからない。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「咲いていてはじめて合歓の木と思う家までの道のあちらこちらに 岩尾美加子」


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ダニエル書  8章15~27節 [ダニエル書]

<こう言った。「見よこの怒りの時の終わりに何が起こるかをお前に示そう。定められた時には終わりがある。(19節)>

「ダニエルは、再び『幻』を見ます。それは、最初の幻(7章)と同様に、やがて訪れようとしていた迫害を予見させるものでした。その迫害は『罪悪の極み』である『高慢で狡猾な一人の王』によってもたらされ『聖なる民を滅ぼす』に至る、と告げられます。」と8月の「日毎の糧」担当、沖縄・高原教会高多新牧師は書きだされる。

幻の中にあってダニエルは、後にペルシャ帝国の首都になるエラム州のスサにいた。ダニエルが見た幻は、バビロンの王ペルシャツァルが殺され、バビロンはメディア・ペルシャ帝国となる姿だった。主はこれから起こる事をダニエルに伝えようとされる。バビロン壊滅はイスラエルの民の捕囚状態が終わるという事であった。エルサレム帰還によって彼らの身に起こる事、ユダヤ人とエルサレムに起こる事柄に焦点が向けられる。

二本の角を持つ雄羊はメディア・ペルシャの王であり、角が不揃いなのはペルシャがメディアよりも強くなり実質的にペルシャの国になったからである。そこに現れた際立った角を持つ雄山羊がギリシャ出身のアレキサンダー大王である。ペルシャの王ダリヨス三世はBC331年アレキサンダー大王によって倒された。アレキサンダー大王は30歳で病に付し死を迎えた。雄山羊の角が折れ、国は4つに分断された。

とにかくまだ起こっていない事を幻は示すのだから、ダニエルがこの幻の意味する事を知る事は難しかった。戸惑っているダニエルに声がして「ガブリエル、幻をこの人に説明せよ」と言った。するとガブリエルカが「この幻は終わりの時に関するものだという事を悟りなさい」とダニエルに伝えると、彼は気を失ってそこに倒れた。

しかし、ダニエルはすぐに抱き起され、ガブリエルの「見よこの怒りの時の終わりに何が起こるかをお前に示そう。定められた時には終わりがある。」という言葉を聞いた。

雄山羊から出た4つの国の終わりに罪悪の極みとして「高慢で狡猾な一人の王が起こる(23節)」と言われるのは、力弱まったギリシャの後に台頭するローマ帝国である。「強大になり、破壊を行い、ほしいままに振舞い、力ある者、聖なる民を滅ぼす(24節)」と告げられる。

そして「ついに最も大いなる君に敵対し、人の手によらずに滅ぼされる。この夜と朝の幻について、わたしのいう事は真実だ(25.26節)」と、救い主イエスの到来が告げられる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「同世代は無言の連帯あるものと勝手な思いは虚構に過ぎず 佐藤裕扇」


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ダニエル書  6章16~29節 [ダニエル書]

<この神は救い主、助け主。天にも地にも、不思議な御業を行い、ダニエルを獅子の力から救われた。(28節)>

「禁令を破ったダニエルは獅子の洞窟に投げ込まれることになりました。ここでもダニエルはうろたえる姿を見せません。ただ事が運ばれるままに、自分を委ねます。」と鍋谷牧師は書きだされる。

役人達は王のもとに来てダニエルは王が署名した禁令を無視して、日に三度祈りをささげていると告発した。その報告に王は命令を下し、ダニエルは獅子の洞窟に投げ込まれることになった。王はダニエルにそれを告げると「お前がいつも拝んでいる神がお前を救って下さるように。(17節)」と言った。

O牧師は「王はダニエルが仕えている神について知っていたのです。私達の周りの人々は私達が神に仕えている事を知っているでしょうか。いつも仕えている者には、神がダニエルになされたようにその通りかどうか、試される時があります。神が私達をお救いになる方であれば、私達は救われた経験を通して、周りの人にこの神が生きておられる事を実証する者となるからです。」と話された。

ダニエルが洞窟に投げ込まれるのを確認し、宮殿に帰った王は一晩中断食し、眠れずに過ごし、夜が明けるや否や、急いで獅子の洞窟へ行った。王は不安に満ちた声をあげて、ダニエルに呼び掛けると、「生ける神の僕よ。お前がいつも拝んでいる神は、獅子からお前を救い出す力があったか」と言った。

王はダニエルの神を「生ける神」と呼んでいる。メディアの神々は、耳や目があっても動く事のできない、生きていない神々だが、真の神は生きておられると、ダニエルは王にいつも証していたのだろう。

ダニエルは王に答えた。「王様がとこしえまで生き永らえますように。神様が天使を送って獅子の口を閉ざして下さいましたので、私はなんの危害も受けませんでした。神様に対する私の無実が認められたのです。そして王様、あなたさまに対しても、背いた事はございません。(23節)」

王はたいそう喜んで、ダニエルを洞窟から引き出すように命じた。引き出されたダニエルには何の傷も認められなかった。それは「神を信頼していたからである。(24節)」と記される。ダニエルを告発した人々は妻子もろとも獅子の洞窟に投げ込まれた。獅子は彼らを骨まで砕いた。

「復讐されるのは神」だと、つい先日教わったばかりだから受け入れがたい処罰だけれど、これはBC500年も前の話だと理解せねばならない。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「韓国語で戴きますはチャルモッケッスムニダ何て言い辛いんだ 土井恵子」


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ダニエル書  6章1~15節 [ダニエル書]

<ダニエルは王が禁令に署名した事を知っていたが、家に帰るといつもの通り二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた。(11節)>

「ペルシャツァル王の後に王となったダレイオスに、ダニエルは誰よりも優れた大臣として仕えました。そんなダニエルをよく思わない人たちが、一計を案じダニエルを陥れます。」と鍋谷牧師は書きだされる。

ダニエルはバビロンの国が滅んだ(BC539年)後も、メディア・ペルシャにおいても以前と同じように連合国に仕え、神に仕えていた。バビロンに捕らえ移されエルサレムを後にした67年、ダニエルは既に80歳を越えていた。連合王国を継いだダレイオスは120人の総督を置き、これらの総督から報告を受ける大臣を3人置き、王はその1人にダニエルを任命した。

「ダニエルには優れた霊が宿っていたので、他の大臣や総督の全てに傑出していた。王は彼に王国全体を治めさせようとした。(4節)」 ダニエルに宿す「優れた霊」は、知識と夢を解き明かし、謎を解き、難問を解き、洞察する力があった。彼が傑出していたのは、彼の才能ではなく与えられた御霊によるものであった。

王に重用されるダニエルに大臣や総督たちは妬みを抱き、彼を陥れようと口実を探した。しかし、政務に忠実な彼にその口実を見つけることは出来なかった。それで彼らは「彼を陥れるには、その信じている神の法に関して何らかの言いがかりをつけるほかはあるまい。(6節)」と、考えた。

王国の大臣、執政官、総督、地方長官、側近がうち揃い王のもと集まった。彼らは「ダレイオス王様がとこしえまでも生き永らえられますように」と言うと、自分たち一同が相談した結果、王に次のような勅令による禁止事項を定めて頂きたいという事になりましたと言った。

それは「向こう30日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、誰であれ獅子の洞窟に投げ込まれる(8節)」というものであった。彼らは王に署名を求め「これはメディアとペルシャの法律として変更不可となり、廃止されません」と迫った。王はその書面に署名し禁令は発布された。

ダニエルはその事を知っていたが「いつものとおり」、祈りと賛美を自分の神にささげた。「信じる者は慌てることはない。(イザヤ書28章16節)」という言葉のとおり「いつもどおりただ神に信頼し、たとえ禁令に背く行いが見つかろうとも、ダニエルの目は神を見続けるのです。」と鍋谷牧師は結ばれる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「シャツめくり手術の跡を見せてくる子供めいたる父の表情 布施木鮎子」


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