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ヨハネの黙示録  19章1~10節 [ヨハネの黙示録]

<それから天使はわたしに「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言い、また「これは神の真実の言葉である」とも言った。(9節)>

「婚宴は出席するまではどの様なものかわかりません。小羊の婚宴はどれほどの喜びに満ちているのでしょうか。この婚宴は小羊である復活のイエス様の婚宴です。」と、服部牧師は書きだされる。

大淫婦バビロン(ローマ帝国)の滅亡を見て、天では讃美の声があがる。伝承によると、BC753年ローマが建国。AD395年ローマ帝国は東西に分裂。476年西ローマ帝国滅亡、1453年、コンスタンティノーブルが陥落、ローマ帝国は完全に滅亡する。神の僕たちの流した血に対する報復が成される。ヨハネは天上で先取りされる神の裁きを「血の復讐」と呼ぶ。

バビロン(ローマ帝国)滅亡は権力を持つ者には終わりの時、しかし迫害された者にとっては解放の時である。8月15日を日本では「終戦記念日」と呼び悔い改めの時とされているが、韓国では「光復節」と呼び、日本に占領された「強占期」からの解放を喜ぶ日である。天上では、ローマを焼く煙が漂う中で礼拝が行われる。

ローマは「淫らな行いで地上を堕落させた大淫婦」と呼ばれる、ここでいう「淫らな」とは、自分より権力のある者、利益を与えてくれる者を拝み、皇帝にすがり、皇帝を主と呼ぶ偶像礼拝を指す。ローマ帝国が滅び、天上では小羊に婚礼の祝宴が開かれ、キリストが王になられた喜びの讃美が続く。

黙示録が書かれたのはAD95年頃、ヨハネにとって目に見える現実は、キリスト者が殺され、沈黙させられていた。それはキリスト教がローマ帝国の国教となるまで続く。その中でヨハネは見えないキリストの支配を見ていた。

小羊の婚礼の日は、キリストと神の民(花嫁)が結ばれる祝いの日である。また、神がサタンを完全に打ち負かす事を示唆する。イスラエルの預言者たちは婚姻を神とイスラエルの民との密接な関係を表現して使っている。新約聖書では、キリストは教会の夫だとエフェソ書5章に記される。

ヨハネは「神の言葉」を通してローマと戦う。彼が迫害の中にある教会に送ったのは武器でなく、神の啓示を記した書簡であった。その幻を通して「ローマと戦え、体は殺しても、魂を殺す事のできない者どもを恐れるな。魂も体も滅ぼすことのできるお方を恐れよ(マタイ書10章)」と諸教会に呼び掛ける。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「桜より田んぼが見たいという君を助手席に乗せ郊外へ向く 白澤真史」


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ヨハネの黙示録  14章14~20節 [ヨハネの黙示録]

<すると、別の天使が神殿から出てきて、雲の上に座っている方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています。」(15節)>

「罪から逃れたいと欲しながら、気づけば罪を犯し、罪にまみれているのが私たちの実際です。ヨハネが見た幻の中では、金の冠をかぶったキリストが鎌を手に持っていました。」と、服部牧師は書きだされる。

「白い雲の上に座っている方」を見るようにとヨハネは促される。雲は神の栄光をあらわし、その上に座しておられるキリストが確かに、神に全権を任されたお方であることを示す。「白雲」と「白」が強調されるのは、清さを示し、後に出て来る「大淫婦バビロン」は、世の姿であり、その汚れた姿として現される。そこに、天におられるキリストの清い姿とが対比される。

また、このお方は「金の冠」を被っておられる。それは王冠ではなく、勝利と救いをもたらした者に与えられる冠である。ローマ皇帝も王冠ではなく、勝利によって人々に救いをもたらした者として、月桂樹の冠をしばしば冠っていた。そしてこのお方は「鋭い鎌」を持っておられた。収穫のための鎌であるが、「鋭い」というのは、その裁きが容赦なく行われる事を示している。

聖書で「刈り取る」という言葉を聞くと、魂の救いの収穫の事を思うが、聖書はただそれだけではなく、悪い実を結ぶ者たちの時にも用いられる。「畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりもそうなるのだ。(マタイ書13章)」

また、別の天使も手に鋭い鎌を持って神殿から出て来た。すると、祭壇のところから火を司る権威を持つ別の天使が出てきて、鎌を持つ天使に、その鎌をもって、地上のぶどうの房を取り入れよ、ぶどうは既に熟しているといった。ぶどうは熟しすぎていた。主はそれほどまで忍耐して、人々の悔い改めを待っておられたのである。

ぶどうは収穫され、大きな搾り桶に投げ入れられ、都の外で踏み潰される。「すると、血が搾り桶から流れ出て、馬の轡に届くほどになり、1600スタディオンにわたって広がった。(20節)」 主が戦われて、彼らが殺されその血が流れる。それは馬の轡に届くほど、1600スタディオン(296k)に広がると。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「揺れもせず静静上がる観覧車夫と吾とは次第に無口 塩畑光枝」

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ヨハネの黙示録  14章1~13節 [ヨハネの黙示録]

<また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである。』と。」“霊”も言う。「然り、彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」(13節)>

「全ての人は死にます。死を経験しないで済む人は一人もいません。誰もが一度は経験しなければならない死をどのように受け止めるかを考える時、ヨハネに向かって天からの声が告げました。私たち人間にとって、死を幸いと呼ぶことははばかれます。しかし、死を幸いと呼べるようになると宣言されます。」と、服部牧師は書きだされる。

シオンの山(エルサレム神殿があった場所)に立つ小羊と、その子羊と共にいる14万4千人(偶像礼拝をしたことがない者)たちが新しい歌を歌う。と14章始まり、天のエルサレムの先取りが記される。そして6節に入ると、国民、種族、言葉の違う民、民族に永遠の福音を告げ知らせるための天使が来て、「地上に住む人々」に呼びかける。彼らは、イエス・キリストを信じない人たちである。

天使は大声で言った。「神を畏れ、その栄光を称えなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。(7節)」

神の裁きを告げた天使に続いて、第二の天使がその神の裁きによって「大バビロンが倒れた」と告げる。「大バビロン」とは、皇帝とその偶像を礼拝することを諸国の民に命じたローマ帝国(獣)である。そして、第三の天使は、その獣の像を拝み、その刻印を受けた者への裁きを告げる。それは、獣の支配下にある事を表し、その者たちも獣と同じ裁きを受ける事が予告される。

獣を拝み、獣の刻印を受けた人たちは、殺されないために、経済的な不利益を避けるために、命令に従ったのかもしれない。しかし、彼らにも獣と同じ裁きを神は下されるのである。「ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である(12節)」 彼らに対する厳しい裁きについて記されるのは、主を信じる者が忍耐するためですとK牧師は話された。

神の掟を守り、主への信仰を守り続ける者、彼らはそれによって困難を強いられ、殺されてしまうかもわからない。しかし聞こえて来た天の声は「今から後、主に結ばれて幸いである。」と告げて、それを書き記すようにとヨハネに命じる。つまり、彼らは1節に戻り、天において真の礼拝に加わることができると宣言される。

イスラエルを支援する政府に抗議するアメリカの学生たちの映像に、有名大学のタレントが、「せっかく入学したのに追放されていいのかしら」とコメントした。あきれた、彼女は何も分かっていない。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「たわいない話し相手の友のゐて気負うことなく涙を見せぬ 福田正人」


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ヨハネの黙示録  12章1~6節 [ヨハネの黙示録]

<女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治める事になっていた。子は、神のもとへ、その玉座を引き上げられた。(5節)>

「私たちは必ず何かの支配下にいます。何かのとりこになっている、といってよいかもしれません。例えば、権力のとりこになる人もいれば、お金に支配されている人、欲望のとりこになっている人もいます。そこには、本物の平安はありませんが、私たちはその支配を受けてしまい、不安に支配される事になります。」と、服部牧師は書きだされる。

「天に大きな徴(しるし)が現れた。」と1節は書き出され、3節には「また、もう一つのしるしが天に現れた。」と続く。ヨハネが見た幻を12章で初めて「しるし」と言っているのは、「しるし」という時にはこの幻は、預言的な意味を持っているとヨハネは判断した。それが「天に現れた」とはどういうことか。

ここで「天」というのは神の御座ではなく、「空」であり、そこに身ごもっている一人の女を見た。もう一つは「大きな赤い竜」。女性は男の子を産んだが、それではマリアと主イエスと考えていいのだろうか。仰々しい登場から清楚なマリアをイメージできないが、その事についてヨハネは語っていない。

S牧師は「ヨハネはここで主イエスの時代に何があったのかを問題にしていません。彼の最大の関心は『霊的真理』だけに向けられているのです。」話された。牧師の話さえ難しい。彼女は男の子を産んですぐ荒野に逃げるが、その記述は福音書のどこにもない。また、産まれた子供を食い尽くそうとする竜は、ヘロデだとする説は適当ではないが、男の子は主イエスだと思うとS牧師は話された。

この黙示録を記したヨハネは、主イエスが十字架に架かった時に、主の母であるマリアを託された人とされている。ここに登場する女は、太陽をまとい月を足の下にして、十二の星の冠を被り、神の子イエスを産み出した。すなわち、イスラエル民族の祖、神の民ユダヤ人を産んだという事になる。主イエスの先祖を産んだのである。「女」という言葉は抽象的な表現だとS牧師は話される。

イスラエルの民は旧約聖書に記される預言に基づいて、早くからメシアの来臨を信じ待ち望んでいた。しかし、それが実現するには多くの苦難があった。例えば、アッシリア、バビロンに蹂躙され、北イスラエルは国が壊滅し、南のユダは民族ごと捉われ捕囚の屈辱を受けた。

「女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこにはこの女が1260日の間養われるように、神の用意された場所があった。(6節)」 1260日は永遠、主を信じる者を神が永久に養って下さるとヨハネは記す。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「子蜥蜴も春の花 あたたかな石に根っこのような指をひろげて 音平まど」


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ヨハネの黙示録  11章14~19節 [ヨハネの黙示録]

<「この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。」(15節)>

「この世は誰のものであるか。この問いの前で、私たちは世の諸霊と相対し、自らの無力に絶望したくなることがあります。この世は神が造り、神が支配して下さるはずなのに、との思いをぬぐい切れずにいます。」と、信徒の友「日毎の糧」5月号講解担当、服部修牧師は書きだされる。

第七の天使がラッパを吹くと、天に様々な大声があって、こう言った。「この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。」。神がご自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられた。それは、これから起こる事の先取りである。

地上では、この後にも様々な艱難が待ち受けているのだが、天上では無数の天使たちが賛美の声をあげていた。主なる方は、イスラエルの王であるだけでなく、全ての国の王であると。それを聞く預言者たちは、イスラエルに対する裁きの言葉だけでなく。アッシリアやバビロン、モアブ、エジプトに対する裁きの言葉を記している。

「国々にふれて言え、主こそ王と。世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない。主は諸国の民を公平に裁かれる。天よ、喜び祝え、地よ、喜び踊れ。海とそこに満ちるものよ、とどろけ。・・・主は来られる、地を裁くために来られる。主は世界を正しく裁き、真実をもって諸国の民を裁かれる。(詩編96章)」

天使たちの讃美に続いて24人の長老はひれ伏して神を礼拝し「今おられ、かつておられた方、全能者である神、主よ、感謝いたします。大いなる力を振るって統治されたからです」と言った。彼らは、高いくらいの天使だったと思われる。「統治された」と天上においてすでに起こった事として神に感謝を献げる。

彼らは続いて神の裁きについて語る。「異邦人たちは怒り狂い、あなたも怒りを現わされた。死者の裁かれる時が来ました。・・・地を滅ぼす者どもを、滅ぼされる時が来ました(18節)」 ここでの「異邦人」とは、主イエスを信じない者たち。神が地を滅ぼす者たちを滅ぼされる時が来たのである。

厳しい迫害に故郷を追われ、家族も亡くし、それでも主を信じる人々は神に祈り続け預言者の言葉によって光を見つづけていた。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「ふはふはと言われるままに試着して春のスカート買ひてしまえり 岡田ゆり」


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