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出エジプト記 13章3~10節 [出エジプト記]

<あなたはこの日、自分の子供に告げなければならない。「これは、わたしがエジプトから出た時、主がわたしのために行われたことのゆえである」と。あなたは、この言葉を自分の腕と額につけて記憶のしるしとし、主の教えを口ずさまねばならない。主が力強い御手をもって、あなたをエジプトから導き出されたからである。(9節)>

「主イエスが十字架へと歩みを進める受難週、ユダヤ教の『過越祭』が祝われます。イスラエルの民は過越の祭りを守る事を通して、出エジプトの解放の恵みを想起します。続く7日間の『除酵祭』は、酵母を入れないパンを食べ、主の教えを口ずさむことが命じられます。」と、宮本牧師は書き出される。

イスラエルをエジプトの地から導き出された時、主は「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開く者は全て、人であれ家畜であれ、わたしのものである。(2節)」と仰せになった。出エジプトの夜、鴨居と2本の門柱に塗られた小羊の血を目印にイスラエルの初子は主によって贖い出されたので、初子は神のものであり、神のために聖別されなければならないのだ。

モーセは民に「あなた達は、奴隷の家、エジプトから出たこの日を記念しなさい。主が力強い御手をもって、あなた達をそこから導き出されたからである。酵母入りのパンを食べてはならない。あなたたちはアビブの月のこの日に出発する。」と、彼らが約束の地に入った後で守るべき事を命じる。「アビブの月」とは、大麦の初穂の取れる時期である。

7日間、酵母の入っていないパンを食べ、「過越祭」の意味を子供たちに教えなければならないと。さらにこの言葉を自分の腕と額につけて記憶のしるしとし、主の教えを口ずさねばならないと命じた。ユダヤ教の人々は「テフィリン」と呼ばれる聖句箱を額の上と左腕に申命記に記されているように括り付けていた。

けれども、主イエスはファリサイ派の人々のこの習慣の背後にある偽善を「そのすることは、全て人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。(マタイ書23章)」と指摘される。

「御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったかすぐに忘れてしまいます。しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れる人ではなく、行う人です。(ヤコブの手紙1章)」

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「山頂に至れば彼方に海見ゆと決めて眺めて瀬戸内育ち 高橋ひろ子」


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