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エゼキエル書  36章16~32節 [エゼキエル書]

<わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊をおく。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。(26節)>

「今イスラエルが、捕囚という厳しい裁きのなかに置かれたのは、神の恵みを忘れ、掟と法とを軽んじ、偶像崇拝の罪をおかしたからでした。そしてこの捕囚の出来事は、周辺諸国に対して聖なる神の名を汚してしまうものでした。神はご自分でこの名を聖なるものへと回復されます。」と、竹井牧師は書きだされる。

ユダ王国はバビロンによって滅ぼされたのだが、それは主の裁きによるものであった。彼らは主が約束され与えられたカナンの地から追放され、捕囚となってバビロンに連行された。そうなったのは彼らが神との契約を守らず、殺戮と偶像礼拝の罪を犯したからであった。しかし、バビロンの人々は、バビロンの神々がイスラエルの神に勝利したと考えていた。

「主は遠く地の果てから一つの国民を、その言葉を聞いた事もない国民を、鷲が飛び掛かるようにあなたに差し向ける。(申命記28章49節)」また「主は、かつてあなたたちを幸いにして、人数を増やす事を喜ばれたように、今は滅ぼし絶やす事を喜ばれる。あなたたちは、あなたが入って得る土地から引き抜かれる。主は地の果てから果てに至るまで、全ての民の間にあなたを散らされる。あなたは先祖も知らなかった、木や石で造られた他の神々につかえるようになり・・・(同63.64.65節)」

主の御声に聞き従わないなら、このように呪われると申命記は記す。イスラエルの壊滅は民が主の戒めと掟に背いたからであった。しかし、イスラエルの民が散らされた諸国の人々は、イスラエルの神は自分の民を自分の土地に住まわせることができない無力な神であると考えた。

「それは、聖なる神のみ名を汚してしまうものでした。神はご自分でこの名を聖なるものへと回復されます。それはイスラエルの不信仰で頑なな石の心を取り除き、肉の心と新しい霊を与えて下さることによって成し遂げられます。」と、竹井牧師は説かれる。

「わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。(27節)」 今も昔も、神に従い得ない貧しい者を、主は繰り返し悔い改める者へと導いて下さる。

ユダ王国崩壊は、人間は神の掟に従って歩めない者である事を明らかにした。イスラエルの民は、モーセによって出エジプトを果たし、シナイ山で神と契約を結んだ。その時も約束の地に入る時も、民は「私たちの神、主に私たちは仕え、その声に聞き従います」と言ったのだが、虚しいものであった。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「ウーパーの配達員が公園でタッパー入りの弁当開く 音平まど」


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