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エステル記 2章19節~3章6節 [エステル記]


<ハマンは、モルデガンが自分にひざまずいて敬礼しないのを見て、腹を立てていた。(5節)>

「ペルシャの宰相ハマンは『王宮の門に座っていた』モルデガイの非礼に激怒します。モルデガイは自らがユダヤ人であることを公言していたので、ハマンはこのことをきっかけに国中にいるユダヤ人たちの滅亡を企てます。」と、木村牧師は書きだされる。

古代ペルシャ(現イラン)の王クセルクセス(BC485~465年在位)のスサの王宮は遺跡として今も現存し、記事に登場する王宮の門、内庭、外庭、宮殿の園の所在を知る事が出来る。エステルは父母を失くしモルデガイに引き取られていた。彼女は異教徒の王の側女として召され、愛するユダヤ人の交わりから引き離されてしまう事になった。それを悲しみモルデガイとの交わりを何より大切にした。

王の厚意と愛を受けてエステルの頭に王妃の冠が置かれ、盛大な祝宴が催され、大勢の大臣、家臣が招かれた。後日その宴が再び行われ、招かれたモルデガイは「王宮の門」に座っていた。と述べられ唐突に「エステルはモルデガイに命じられていたので、自分の属する民族と親元を明かす事はしなかった。モルデガイに養われていた時と同様、その言葉に従った。(20節)」と、10節に重ねて記す。

そして、「さてその頃」と始まる。王宮の門に座っているモルデガイの近くで、2人の宦官が憤慨しながらクセルクセス王を倒そうと謀議していた。それを知ったモルデガイはその事をエステルに告げ、王の知る事となった。捜査されその事が明らかにされると、2人は木に吊るされて処刑された。

その後、王はアガグ人ハマンを引き立て「同僚の大臣の誰よりも高い地位につけた」 最高位に着いたハマンが王宮の門にくると、王の命令によって役人たちは跪いて敬礼した。しかし、ひとりモルデガイだけは跪かず、敬礼もしなかった。

アガグ人とは出エジプトの民を最初に襲撃した民、アマレク人の子孫である。主ご自身が「アマレクの記憶を天の下からぬぐい去らねばならない(申命記25章)」と命じられているイスラエルの仇敵であった。一方モルデガイはサウル王の父キシュの子孫であり、神が聖絶を命じられたアマレクの子孫であるハマンの前に跪くなどという事は愚かな行為であった。

そこで王宮の役人たちはモルデガイに「なぜ王の命令が聞けないのか」と毎日言ったが、彼は耳を貸さなかった。それで彼らはそれがモルデガイの信仰なのだと理解しハマンに告げた。ハマンはモルデガイがユダヤ人であることを知ると「国中にいるモルデガイの民、ユダヤ人を皆、滅ぼそうとした。(6節)」

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「魔術師のように秋は来てこの夏に疲れた顔を剝がしていった 魚谷真梨子」


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