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雅歌 5章2節~6章3節 [雅歌]

<恋しい人は透き間から手を差し伸べ、わたしの胸は高鳴りました。(4節)>

「ここでもおとめの夢の中の事が描かれ、それは『恋しい人』との関係における喜びと不安という内面を映し出しています。彼女は夜中家を訪ねて来た彼に胸を高鳴らせつつ、戸を開く事が出来ませんでした。ここに出てくる『手』『透き間』『開く』という動詞は夫々人間の性を表しています。」と、木村牧師は書きだされる。 

「眠っていても、心は目覚めていた」おとめの耳に若者の声が届き、戸が叩かれた。「私の妹、恋人よ、開けておくれ。私の鳩、清らかなおとめよ。私の頭は露に、頭は夜の霧に濡れてしまった。」と彼は歌う。主が戸の外に立って叩いておられる。主に応答し立ち上がり、戸を開けねばならない。けれど、足を洗って着替えてしまった姿でと、おとめは躊躇い恐れる。

戸口から手を差し入れて促される主に応えて、彼女は戸を開くために起き上がる。「ミラルを滴らせ」という「ミラル」は葬りを表し、自分の思いを葬り主に応える姿だと、K牧師は説かれた。しかし、戸を開いたが、恋人は去ってしまい「呼び求めても、答えてくれません。」 祈っても、祈っても願いは叶わず、主が自分を見放されたのではないかと、途方に暮れる時がある。

途方に暮れる彼女を見つけた「夜警」とは、目を覚ましている信仰者。すなわち教会の兄弟姉妹という事になる。まだはっきりと目覚めていない彼女の目を覚まさせるのは、愛のある激しい叱責かもしれない。抽象的な事だが、「打たれて傷を負い、衣を剥がされて」初めて神の愛に気付く。

「エルサレムのおとめたちよ、誓って下さい。もし私の恋しい人を見かけたら、私が恋の病にかかっている事を、その人に伝えると。」 教会員のAさんは、忙しいからと5.6年前から礼拝に来ておられない。しかし先日、子どもの病気回復のために祈って下さいと牧師に電話があり、それに応えて皆で祈った。Aさんはまだ礼拝には来られないが、教会の兄弟姉妹に神に伝えて下さいと言われる。

礼拝を守る事が出来ず、教会とは疎遠になっていた状態にあっても、Aさんは神こそが子どもの病気を治してくれると信じている。彼女の姿に、礼拝が何より大事、礼拝優先によって信仰が深まると半ば思っていた自分の信仰の危うさが浮かび上がる。

自分は半分眠ったような状態で「神が見えない」と叫んでいるのだろう。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「繰り返しお詫びの言葉流されてホームに人が貯められていく 谷活恵」


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