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ローマの信徒への手紙  4章1~12節 [ローマの信徒への手紙]

<聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。(3節)>

主日礼拝の説教は、大地震からの救いを求める祈りから始まった。「パウロは律法を排除するのではない。律法は神が人に望まれる事を教えます。人々が信仰よりも律法を守ることを重要視するようになることが問題なのだとパウロは説いていきます。」とK牧師は話し始められた。

ユダヤ人にとってアブラハムは特別な存在であった。彼はユダヤ民族全員の父祖であり、神は彼の前に現れ、彼に関わる約束を与えられている(創世記12~25章)。神に義と認められた後、その契約の証印としてアブラハムは割礼を受ける。それ以来、彼の子孫は割礼という習慣に従ってきた。しかし、彼は神に救われるのはその行いではなく、主を信じる信仰によってであることを知っていた。

「主の言葉が幻の中でアブラムに望んだ。『恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう』(創世記15章)」。この主の御声にアブラハムは、「私に何を下さるのでしょうか、私には子どもがありませんのに・・・」と答える。そして今日の個所の4章1節に繋がり、「私たちの先祖アブラハムは何を得たのか」とパウロはローマの信徒たちに問いかける。

説教はローマの信徒への手紙を読みながら、創世記へと引き戻されてゆく。年老いて子どものいないアブラハムに「あなたから生まれる者が後を継ぐ。」と主の言葉。主は彼を外に連れ出して、空を見上げさせると、あなたの子孫は数えられないこの星の数ほどになると言われる。「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創世記15章6節)」

アブラハムが神の御前で義とされたのは、彼が神の律法に従って生きたからではないことが、改めて確認される。そもそも十戒もまだ与えられていないし、律法も確立していなかったんではないか。

O牧師は「『あなたは何を私に下さるのか』と言うアブラハムに神は、子孫を・・・と約束されたのです。それは考えられない事でしたが、彼は神を信じます。パウロによればこの信仰がアブラハムと神との関係の基本にあります。神はアブラハムの反抗心を赦し、その罪を問われませんでした。」と話された。

割礼については、創世記17章に記される。割礼に基づいてアブラハムの子孫は異邦人から区別する事が出来た。しかし、ここでパウロはアブラハムの事を「その信仰に基づいて神が義と見なされた」その瞬間に注目する。その出来事は彼が割礼を受ける前であったと。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「種苗の隣で犬は売られおり値段のついた命と目が合う 有本紀子」


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