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サムエル記下 7章18~29節 [サムエル記]

<主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です。あなたは僕にこのような恵みの御言葉を賜りました。(28節)>

「ダビデは主の御前で祈りをささげました。取るに足りない自らの姿を告白し、主の偉大さをたたえました。イスラエルの歴史において、主は新しい事を定めました。それはダビデ王朝を揺るぎないものとし、王座がとこしえに堅く据えられるという事です。」と、本竜牧師は書き出される。

今日の個所は、ナタンを通して「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる(16節)」という預言を聞いたダビデの感謝の祈りである。

T牧師は「私たちの祈りは、個人的な祈願、願望で占められていませんか。聖書はその事を禁じていませんが、聖書が教える祈りはそれと異なります。詩編22篇「私の神よ、なぜ私をお見捨てになるのですか」は、神への訴えで始まりますが、最後は主を賛美し、主の支配への揺るぎない信仰を表明し、御業を宣べ伝えるとの言葉で終わります。祈りの中心は神賛美であります。」と話された。

祈りはその信仰からほとばしり出、現状を神によって変えられたいという信仰の表明である。現状を変えて救うことが出来るのは神以外にない事を信じているのである。だから、どのように状況が絶望的に見える時も、神を信じる者は祈る事を止められないのだと続けて話された。

ダビデは自分に与えられた恵みに対する感謝から、神への賛美を表わす。賛美は、現在と未来、過去へと向けられる。ダビデに現わされた主の恵みは、計り知れないほど大きなものであった。それは未来にまで及ぶものであることが約束され、「この僕の家の遠い将来に関わる言葉まで賜りました」と、感謝を言い表す。隠されている未来を、約束された神の恩恵に感謝する。

「主なる神よ、あなたは僕を認めて下さいました」 小さな存在でしかない自分が主なる神に知られていることへの畏れ、神は単にダビデの事を覚えておられるだけでなく、その生涯を導き、将来にわたってまで約束し覚え続けて下さる。「主が自分を認められた」ダビデはそのように神に愛され覚えられている自分を発見し、これ以上の喜びはなかった。

イスラエルの歩みを通して御業を示され、み言葉を与え続けて下さる神。「主なる神よ、まことにあなたは大いなる方、あなたに比べられる者はなく、あなた以外に神があるとは耳にした事もありません。」 ダビデは過去において表された神の御業を賛美し、その同じ神が現在の自分の歴史においても、未来の歴史においても働かれる生ける神であることを明らかに告白する。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「鉄を切る匂い一瞬強くなるゆふぐれ近き運河の町で  鈴木むつみ」


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サムエル記下 7章1~13節 [サムエル記]

<この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。(13節)>

「王宮に住むようになったダビデは、神の箱がなお天幕の中におかれたままであることから、箱を安置する神殿の建築を思いたち、預言者ナタンの同意を得ます。しかし、その夜、主が神殿はいらないとナタンに告げます。」と、本竜牧師は書き出される。

「ダビデの町」と呼ばれ、エルサレムは政治的、軍事的拠点となった。そこに、ツロの王ヒラムがダビデのもとに,使者と、杉材、木工、石工を送り、ダビデのために王宮を建てた。「王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。(1節)」 王は預言者ナタンに、自分は立派な杉の宮殿に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだと言った。

預言者ナタンは宮廷に出入りする預言者で、王の個人的な助言者として仕えていた。ナタンは王の言葉に「心にある事は何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます」と、主に伺いを立てることなく即答した。その夜、主の言葉がナタンに臨んだ。

「私の僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたが私のために住むべき家を建てようというのか。私はイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。私はイスラエルの子らと常に共に歩んで来たが、その間、私の民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜ私のためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。」

O牧師は「ナタンは預言者であり、とても善良で正しい人でした。しかし、そのような人でも自分の判断によって言葉を発するなら、間違いを犯してしまうのです。善良さ正しさだけでは人々を正しく導くことは出来ません。大切なのは主に祈り、主の導きを求める事です。これは、私たちに対する警告です。」と、話された。

主は、羊飼いダビデを選び、彼をイスラエルの王とし、彼と共にあって勝利を与え、彼のすべての敵を絶ち滅ぼされた。そのようにして主は彼を、地の大いなる者に並ぶ名声を与えられた。そればかりでなく、一つの場所を定め、民を住まわせられた。不正な者たちが民を苦しめることがないようにして下さった。主は「私は彼の王国の王座をとこしえに堅く据える」と約束された。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「考えてゐるばっかりで動かないからだをずらす陽の差す方へ  山尾春美」


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サムエル記下 5章1~25節 [サムエル記]

<ダビデは30歳で王となり、40年間王位にあった。7年6ヵ月の間ヘブロンでユダを、33年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した。(4.5節)>

「ヘブロンで長老たちから油を注がれて、全イスラエルの王として即位したダビデが最初に行ったのは、エルサレムを攻略し、首都とする事でした。ユダとイスラエルの中間にある天然の要塞のこの町に、ダビデは城壁を築き、王宮を建てます。」と、本竜牧師は書き出される。

サウルとその3人の息子たちは戦死し、第3章ではサウル王家の実質的な指導者アブネルが暗殺され、遺されたサウルの息子イシュ.ボトも裏切り者によって殺された。サウル王家の哀れな末路は、サウル自身の背信にあると言えるが、それを「これが神の裁き、選びなのだ」と知る事は大切かもしれないが、それと同時に「人の罪による結末」だと言う事も忘れてはならないとK牧師は言われた。

5章に入ると、イスラエルの全部族、イスラエルの長老たちがヘブロンのダビデのもとに来た。ダビデ王は「主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。(3節)」 ダビデがイスラエルの王に即位し、祈りを伴わない企みは退けられ、御心が必ず成就することが証される。

即位したダビデ王は、国を治めるには中心となる首都を定める事が重要だとした。エルサレムの町は小高い丘に建てられた天然の砦で、攻めにくく守りやすい地で、首都に相応しいとされた。エルサレムには、水の確保が困難なため水汲みのトンネルが掘られていた。ダビデ軍はそこからエルサレムに侵入し、堅固に城を守っていたエブス人を討った。

ダビデはこの要害に住み、エルサレムは「ダビデの町」と呼ばれ、「ミロから内部まで、周囲に城壁を築いた。ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼らと共におられた。(9.10節)」

万事がみ旨通り進んでいる。しかし、6~8節の記述が分からない。「ダビデは言った。『・・・ダビデの命を憎むという足の不自由な者、目の見えない者を討て。』このために、目や足の不自由な者は神殿に入ってはならない、と言われるようになった。」 神を礼拝し、み言葉によって癒されなければならないのは、弱さを抱える者であるはずだ。人を差別する言葉が聖書にどうしてあるのだろうか。

ダビデが王になった事を聞いたすべてのペリシテ人が、ダビデの命をねらって攻め上って来た。ダビデは「ペリシテ人に向かって攻め上るべきでしょうか・・・」と、主に託宣を求めた。「攻め上れ。必ずペリシテ人をあなたの手に渡す。」と、主は答えられた。ダビデは主の命じられた通りに行動し、ペリシテ人を討ち滅ぼした。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「聴力の衰へしこと告げられる深海のごとき検査室にて  宮地しもん」


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