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エゼキエル書  43章1~9節 [エゼキエル書]

<今、わたしのもとから、淫行と王たちの死体を遠ざけよ。そうすれば、わたしは彼らの間にとこしえに住む。(9節)>

「40章から始まる新しい神殿の幻の中でエゼキエルは、輝く神の栄光が東の方からやって来て、神殿の中に入っていくのを見ました。神殿の中には神の栄光の輝きを遮るものは何もなく、その輝きが神殿を満たしていました。」と、竹井牧師は書きだされる。

40章は「我々が捕囚になってから25年、都が破壊されてから14年目…主の手が私に臨み、私はそこへ連れて行かれた。神の幻によって私はイスラエルの地に伴われ、非常に高い山の上に下ろされた。その南側に都のように建設された物があった。」と始まる。主がエゼキエルをそこに連れて行かれると、手に麻縄と測り竿を持った人が門の傍らに立っていた。

その人は「私がこれから示す、すべての事を心に留めなさい。あなたがここに連れて来られたのは、それを示すためです。あなたが見る事を、すべてイスラエルの家に告げなさい。」と言って、神殿のあらゆるところを採寸しながらエゼキエルを連れて回った。

彼がエゼキエルを東の方に向いてる門に導くと、神殿を主の栄光が満たした。主ははエゼキエルに「人の子よ、ここはわたしの王座であるべき場所、わたしの足の裏を置くべき場所である。わたしは、ここでイスラエルの子らの間に永久に住む」と告げられた。エゼキエルは10章で、主の栄光がケルビムに乗って、エルサレム神殿を離れる幻をみた。エルサレムの背きの罪のゆえ神殿を離れられたのである。

神ならぬものを信仰する偶像礼拝、またエジプトの力を頼りとした背きの罪を重ねエルサレム神殿は汚れたものとなった。「二度とイスラエルの家は、民も王たちも、淫行によって、あるいは王たちが死ぬとき、その死体によって、わが聖なる名を汚す事はない」と、言われる。罪に汚れたエルサレムは陥落、神殿は破壊され、町は火で焼かれてしまった。

エルサレムを離れた主の栄光が、再び神殿に満ちる幻が与えられたという事は、主なる神がイスラエルの都としてエルサレムを選ばれたという事であり、そこに立つ建物こそ主を礼拝する神殿とされたということである。イスラエルの民のエルサレム帰還の夢がかなう事を主は示された。

K牧師は「主の愛と憐れみに感謝致します。罪を重ねる私たちのために、主ご自身が贖いの献げ物として主イエス・キリストを献げられました。その祭壇はキリストの架けられた十字架です。」と説かれた。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「陽ざかりをぽくぽく帰る一年生ふいにしゃがみて虫穴のぞく 深堀英子」


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