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ネヘミヤ記  7章8節~8章12節 [ネヘミヤ記]

<彼らは更に言った。「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝う事こそ、あなたたちの力の源である。」(10節)>

「長い間祈り願っていたエルサレムの城壁の再建がついに完成しました。その城壁の『水の門の前にある広場』にイスラエルの民は集まって、主を礼拝しました。この時イスラエルの民は『一人の人のようになった』とあります。これはやがて現れる新しい主の民、キリストの体なる教会の姿を予見させます。」と高多牧師は書きだされる。

昨日の水曜日は教会祈祷会であったが、いつもは7人前後でもたれるのに、出席者は牧師と自分だけとなった。8月15日は韓国では「光復節」として祝日、「強占期時代」と呼ばれる日本国占領から解放された日である。私の町では市長が戦争で失った多くの人を偲んで12時に黙祷をと、有線放送が流れた。民主主義の世で戦争は、民に責がある。愚かな者に権威をあずけてはならない事だ。

「城壁が築かれたので、わたしは扉を取りつけさせた。そして門番と詠唱者とレビ人を任務に就けた」と7章は始まる。最後の扉を取り付け、城壁は完成した。S先生によると「門衛とは見張り、つまり祈りであり、詠唱者は主を賛美し、レビ人はみ言葉を教え、城壁に囲まれた中には、執り成しの祈りの場が築かれ、御言葉と祈りと賛美によって、民が聖所とされてゆくのです。」と言われた。

7章の残りは帰還した捕囚の民の部族、またその名や、人数が列記される。韓国人の若いK牧師とマンツーマンの祈祷会なので気楽になり「こんな個所は読み飛ばしているんです」と本音を吐いた。ついでに、それに幻とか、ダニエルが獅子の檻から生還したとか、よく理解できないので、ネットでどういうふうに説教されているのか検索しながら読んでいますと言った。

すると、K牧師は即座に「いけません」と、にらまれた。「祈りをもって聖書は読むものです。すぐに回答を求め、あちこち読んで自分の気に入った答えで満足している姿勢は改めて下さい」と。

書記官エズラは律法を会衆の前に持ってきた。皆が見守る中でその書を開いた。彼が書を開くと民は皆立ち上がった。彼が大いなる神、主を称えると民は皆、両手を挙げて「アーメン、アーメン」を唱和し、ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。

「アーメン、アーメン」、それは真実です。私はそれに同意します。自分は理屈や根拠に捉われて聖書を読んでいたことを悔い改めなければと思った。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「平和だね 同僚(トモ)がふと言う機密文書溶解業者を待つ日盛りに 福西直美」
キリスト教 イエス・キリスト 短歌 塔 教会 聖書

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