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ヨナ書  2章1~11節 [ヨナ書]

<わたしは感謝の声をあげ、いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。(10節)>

「ヨナの悔い改めの祈りが、一編の詩のように綴られています。私達の心を深く打つ詩であり、祈りであると思います。」と高多牧師は書きだされる。

ヨナは、自分を遣わしてニネベの人々を悔い改めさせようとされた主なる神の御心が気に入らなかった。それで、舟に乗って遠くへ逃げようとした。しかし、どんなに遠くへ行こうとも、主の御手の中にあり、主は嵐によって彼を捕らえられた。ヨナは嵐の原因が自分にある事を船員たちに伝え海に放り込むがよいと言った。主は巨大な魚に命じて放り込まれたヨナを呑み込ませられた。

ヨナは三日三晩、真っ暗な魚の腹の中にいた。ヨナはその暗闇の中でここまでの出来事を思い、自分が生きていることに驚きながら、神への感謝の祈りを献げる。「苦難の中で、わたしが叫ぶと、主は答えて下さった。陰府の底から、助けを求めると、わたしの声を聞いて下さった。(3節)」ヨナは聞き届けられた祈りを、神に感謝する。

「あなたは、私を深い海に投げ込まれた。塩の流れが私を巻き込み、波また波が私の上を越えていく(4節)」 神によって海に投げ出され、大きな波にのみ込まれた。自分は追放され、神殿を再び見る事があろうか。神が自分にアッシリアの首都ニネベに行けと命じられたから、私はタルシシュに逃げたのだ。そういう間も、大水が喉に達し、深遠に吞み込まれ、水草が頭に絡みついた。

神殿を見たい、主の顔の前に出たいとヨナは願い、主に背を向けたことを後悔した。死の恐怖の前の土壇場での祈りであり、自分の苦しみや辛さを嘆いているばかりの祈りなのかもしれない。そんな整わない悔い改めの祈りであっても、主なる神は全てを赦して下さる。主はヨナの頑なさを持ったままの祈りであっても喜んで顧みて下さる。

「しかし、わが神、主よ、あなたは命を、滅びの穴から引き上げて下さった。息絶えようとするとき、私は主の御名を唱えた。私の祈りがあなたに届き、聖なる神殿に達した。偽りの神々に従う者たちが、忠節を捨て去ろうとも、私は感謝の声をあげ、いけにえを捧げて、誓った事を果たそう。救いは、主にこそある。」 主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐き出した。(14節)

「大魚の腹の中、そこはヨナにとっては絶望を味わう所でしたが、そこでこそ主と新しく出会い『救いは、主にこそある』と、告白するものへとかえられたのです」と、高多牧師は結ばれる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「向日葵が東を向いて咲いてゐるキッチンの窓にうしろ背見せて 加藤和子」


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