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ゼカリヤ書  4章1~14節 [ゼカリヤ書]

<誰が初めのささやかな日をさげすむのか。ゼルバベルの手にある選び抜かれた石を見て、喜び祝うべきである。その七つのものは、地上をくまなく見回る主の御目である。(10節)>

「どんな困難な事でも、それを成し遂げるためには、『初めのささやかな日』から始めなければなりません。神殿再建という大事業も、まさに難題山積の『大いなる山』そのものでしたが、初めに為すべきことは1つでした。それは、廃墟となっていたエルサレム神殿の瓦礫の山から『親石』を取り出す事でした。」と、高多牧師は書きだされる。

「何を見ていたのか」と主は眠っていたゼカリヤに問われ、彼は見ていた夢を答えると「主よ、これは何でしょう」と尋ねた。主は「これが何かわからないのか」と言われる。このやり取りが主へのゼカリヤの親しみ、信頼が感じられる。彼はどんな時も祈り求めれば主が答えて下さると信じていた。

神殿再建は、ペルシャ帝国からはユダヤの独立運動を厳しく監視され、他民族からは横やりが、加えて目の前の瓦礫。ダビデの家系にあるゼルバベルと祭司の系統をひくヨシュア、2人の指導者に障害は山積していた。神の民を託された2人の働きは、イスラエルの再建に繋がっていくのだろうかと人々は不安を感じていた。その時にゼカリヤに語られた主の御言葉と幻が今日の個所である。

「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。大いなる山よ、お前は何者か。ゼルバベルの前では平らにされる。彼が親石を取り出せば、見事、見事と叫びがあがる。

ゼルバベルの手がこの家の基を据えた。彼自身の手がそれを完成させるであろう。こうして、あなたは万軍の主がわたしを、あなたたちに遣わされたことを知るようになる。誰が初めのささやかな日をさげすむのか。ゼルバベルの手にある選び抜かれた石を見て、喜び祝うべきである。その七つのものは、地上をくまなく見回る主の御目である。(9.10節)」

神殿のもっとも大切な親石が基となって据えられる。その初めのささやかな日を誰が蔑むのか。「わたしの霊はあなた方の中にとどまっている、恐れてはならない。幻に見る7つの灯皿は、地上をくまなく見回る主の目である。」と主は励まされる。

また、幻の燭台の左右にある2本のオリーブの木は、絶える事なく燭台へ油を注いでいた。それは「全地の主のみ前に立つ、2人の油注がれた人たちである。」と、み使いは言った。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「筆圧の強き文字(もんじ)を生み出だす縦長の爪持つ君の指 千野みづき」


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