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ゼカリヤ書  7章1~7節 [ゼカリヤ書]

<「国の民すべてに言いなさい。また祭司たちにも言いなさい。五月にも、七月にも、あなたたちは断食し、嘆き悲しんで来た。こうして七十年にもなるが、果たして、真にわたしのために断食して来たか。」(5節)>

「大祭司ヨシュアの戴冠から2年がたちました。まだ、神殿は再建の途中です。そんな折に、5月に断食を行うかどうかという質問が預言者に寄せられます。『第五の月』はバビロニアによってエルサレム神殿が破壊された月です。彼らはこの出来事の痛みを忘れないようにするため、断食を行っていたのです。」と、伊藤牧師は書きだされる。

ペルシャのダレイオス第4年、最初の幻が与えられて2年が過ぎた。再建工事は様々な困難はありながら全体につつがなく進んでいた。7.8章はこのような時に語られたものである。

ペテルはサル・エツェルとレゲム・メレクおよび彼らの従者を遣わして、これまで守って来た第5の月の断食を守り続けるべきかどうかと、主の祭司と預言者に質問させた。ペテルは、エルサレムの北19kmの所にあり、かつての北イスラエルの礼拝の中心地であった。

第5の月の断食とは、70年前にエルサレムがバビロンによって占領され、神殿も王宮も焼き払われてしまった事を悲しんでの断食であった。しかし、いまやエルサレム神殿が完成間近かになり、それでも断食を続けるのかというものであった。バビロン捕囚の中でも、また、帰還してからも人々はこの断食を固く守っていた。

「あなたたちは断食し、嘆き悲しんで来た。こうして70年にもなるが、果たして、真にわたしのために断食して来たか。(5節)」と主は彼らに問われる。その断食は、エルサレムの崩壊と焼失を通して示された神の裁きを誠実に受け止めての悔い改めの断食であったのかと問われるのであった。

ゼカリヤに主の言葉が臨んだ。「万軍の主はこう言われる。正義と真理に基づいて裁き、互いにいたわり合い、憐れみ深くあり、やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者らを虐げず、互いに災いを心に企んではならない。」 しかし、彼らは耳を傾けず、頑なに背を向け、心を石のように硬くして、聞こうとしなかった。「こうして万軍の主の怒りは激しく燃えた。(12節)」

いつの間にか、自分のための礼拝や祈祷会になり、礼拝し、主に祈る、という原点を忘れているのではないかと主は問われる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「朝に湧き夕べ降るごとヒグラシの裏山に鳴きひと日を仕舞う 坪井睦彦」


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