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テモテへの手紙Ⅱ 3章1~17節 [テモテへの手紙]

<聖書はすべて神の霊の導きのもとに書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をする上に有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行う事ができるように、十分に整えられるのです。(16.17節)>

この書が書かれた時、パウロのもとから多くの同労者が離れて行き、違った教えを言い広めている者たちがたくさんいた。教会はイエス・キリストの真理ではなく、全く違う土台の上に立てられていた。パウロはこのような状況の中で、それでも信仰を保っていく、信仰の戦いについて語る。

「終わりの時」、悪魔や悪霊が猛威を振るう時である。パウロは終わりの時に悪霊の仕業に振り回されて、どのような人々が増えてゆくかを列記する。「信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。こういう人々を避けなさい。(5節)」 彼らは熱心なクリスチャンだとされる人々であり、これらは主を知らない人々の事ではない。まさに教会で起こっている事だと訴える。

「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい(マルコ8章)」 「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。・・・隣人を自分のように愛しなさい。(マルコ12章)」と、主イエスは言われる。しかし、悪霊に振り回されているのは、教会に休まず通い、御言葉に親しんでいながら行いが伴わない者たちの姿であった。

K牧師は「私たちはそれぞれ神の恵みによって、信仰によって、置かれている領域があります。その置かれているところに、居続ける時、私たちから主の栄光が反映されるのです。その領域を越えて、神が自分を用いられているとして振舞うのであれば、ここで言う『不遜な者』『神を汚す者』となります。彼らは学びを深めますが、いつまでも真理を知ることは出来ないのです。」と話された。

パウロは見習うべき指導者について語り、悪人や詐欺師に惑わされ、状況はますます悪化するが「だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。(14節)」とテモテに堅く命じる。そして「聖書は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与える事が出来ます。(15節)」と、断言する。

K牧師は「聖書を読んでいると救いに導かれるのです。それを否む人は、何か他の物を信じていたり、自分の考えを聖書に押し付けているからでしょう。聖書を聖書として、神の導きのもとに書かれている事を幼子のように素直に受け止め、明らかにされたものを受け取っていく時、その人は導かれていくのです。」と、話された。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「ぼろぼろのアドレス帳が抽斗の奥にまだある君の名もある  坂下俊郎」


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