ゼカリヤ書 4章1~10節 [ゼカリヤ書]
<彼は答えてわたしに言った。「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。(6節)>
「ゼルバベルは、バビロン捕囚から戻って来たイスラエルの民が、エルサレム神殿を再建するにあたって立てられた指導者の一人です。妨害する敵対者も多く、その働きには苦労が多かったでしょう。そのゼルバベルに、主がゼカリヤへの幻を通して語られます。」と、6月の「日毎の糧」講解担当、高知・土佐嶺南教会鍋谷仁志牧師は書きだされる。
神の民イスラエルは50年にも及ぶバビロンでの捕囚生活から解放され喜び勇んで祖国に帰還した。ところが、そこで彼らが目にしたのは崩壊の現実であった。国家も神殿も家も全てが瓦礫となり、再建できるのか途方に暮れ、頭を抱え込んだ。そのような只中に、主は預言者ゼカリヤを立てられた。東北大震災の惨状、映像で連日目にするウクライナの町々が浮かぶ。
ゼカリヤは何よりも神を礼拝する家を築くことこそが再建の第一歩だと、戸惑い、力を失くしている人々に粘り強く説得した。しかし、自分がその場にいたら自分たちの家が先だと騒いだだろう。そういう不満を持つ者がいたりして、手作業しかない時代、瓦礫の山はなかなか片付かない。
ゼカリヤは再建の指導者ゼルバベルに、再建の道は武力や力によってなされるものではなく、ただ主の霊、主の力によるのだと、主の言葉を告げた。瓦礫を取り除く労力の苛酷さに、果たして自分たちの作業が神殿再建へとつながるだろうか、そもそも神殿再建が先決するのか、それよりも家を畑を作り、明日の糧が大事ではないか。虚しくなってしまう思いとの葛藤であった。
「ゼルバベルの手がこの家の基を据えた。彼自身の手がそれを完成するであろう。こうして、あなたは万軍の主がわたしを、あなたたちに遣わされたことを知るようになる。誰が初めのささやかな日を蔑むのか。ゼルバベルの手にある選び抜かれた石を見て、喜び祝うべきである。(10節)」
瓦礫の石をこつこつと取り除く、無意味とも思える根気や忍耐のいる作業は第一日目から始まる。この第一日目を蔑んではならない。主が再建のために用意された土台となる石をゼルバベルが手にしていると語られる。ペトロはこの石こそイエス・キリストだと語る。
「主は人々から見捨てられたのですが、神にとって選ばれた、尊い、生きた石です。」 私たちが捨てた石を、神は主の教会のために生きた隅の親石として据えられた。
今日の短歌 短歌誌「塔」より
「歩く余地なくなるほどに椿落つ遠き地雷がひとつ踏まれて 一宮奈生」
「ゼルバベルは、バビロン捕囚から戻って来たイスラエルの民が、エルサレム神殿を再建するにあたって立てられた指導者の一人です。妨害する敵対者も多く、その働きには苦労が多かったでしょう。そのゼルバベルに、主がゼカリヤへの幻を通して語られます。」と、6月の「日毎の糧」講解担当、高知・土佐嶺南教会鍋谷仁志牧師は書きだされる。
神の民イスラエルは50年にも及ぶバビロンでの捕囚生活から解放され喜び勇んで祖国に帰還した。ところが、そこで彼らが目にしたのは崩壊の現実であった。国家も神殿も家も全てが瓦礫となり、再建できるのか途方に暮れ、頭を抱え込んだ。そのような只中に、主は預言者ゼカリヤを立てられた。東北大震災の惨状、映像で連日目にするウクライナの町々が浮かぶ。
ゼカリヤは何よりも神を礼拝する家を築くことこそが再建の第一歩だと、戸惑い、力を失くしている人々に粘り強く説得した。しかし、自分がその場にいたら自分たちの家が先だと騒いだだろう。そういう不満を持つ者がいたりして、手作業しかない時代、瓦礫の山はなかなか片付かない。
ゼカリヤは再建の指導者ゼルバベルに、再建の道は武力や力によってなされるものではなく、ただ主の霊、主の力によるのだと、主の言葉を告げた。瓦礫を取り除く労力の苛酷さに、果たして自分たちの作業が神殿再建へとつながるだろうか、そもそも神殿再建が先決するのか、それよりも家を畑を作り、明日の糧が大事ではないか。虚しくなってしまう思いとの葛藤であった。
「ゼルバベルの手がこの家の基を据えた。彼自身の手がそれを完成するであろう。こうして、あなたは万軍の主がわたしを、あなたたちに遣わされたことを知るようになる。誰が初めのささやかな日を蔑むのか。ゼルバベルの手にある選び抜かれた石を見て、喜び祝うべきである。(10節)」
瓦礫の石をこつこつと取り除く、無意味とも思える根気や忍耐のいる作業は第一日目から始まる。この第一日目を蔑んではならない。主が再建のために用意された土台となる石をゼルバベルが手にしていると語られる。ペトロはこの石こそイエス・キリストだと語る。
「主は人々から見捨てられたのですが、神にとって選ばれた、尊い、生きた石です。」 私たちが捨てた石を、神は主の教会のために生きた隅の親石として据えられた。
今日の短歌 短歌誌「塔」より
「歩く余地なくなるほどに椿落つ遠き地雷がひとつ踏まれて 一宮奈生」
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