SSブログ

ゼカリヤ書  8章1~8節 [ゼカリヤ書]

<万軍の主はこう言われる。わたしはシオンに激しい熱情を注ぐ。激しい憤りをもって熱情を注ぐ。主はこう言われる。わたしは再びシオンに来て、エルサレムの真ん中に住まう。エルサレムは信頼に値する都と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれる。(2.3節)>

「ここからは、エルサレムの復興を約束される神の言葉が語られます。冒頭に出てくる『激しい憤りをもって熱情を注ぐ』という御言葉は、とても鮮烈な響きを持っています。激しい憤りと熱情は本来ならば相反する言葉ですが、神のイスラエルに対する思いはその両方を秘めています。」と、伊藤牧師は書きだされる。

「真にわたしのために断食して来たか」と、問われる主なる神からの答えが7章に続いて記される。「万軍の主は言われる」と言う言葉が繰り返され、主なる神がイスラエルに注がれる祝福が告げられる。

まず、主は激しいほどの熱情をもってシオンを愛されているという宣言である。次の祝福は、主は再びシオンに来て、エルサレムの真ん中に住まわれる事。そして第3の祝福は、エルサレムの広場に若者や老人が溢れ、広場が笑いに満ちるという事。また、その時になって、残りの民が見て驚く事。5番目の祝福は世界中から神の民を救いだし「彼らを連れて来て、エルサレムに住まわせる」と言われる。

エルサレムが外国の民によって蹂躙されるのを、主はどの様な心境で見ておられたのかとO牧師は話される。「主は確かに、イスラエルとユダに裁きを下されました。けれども、主が彼らへの愛を失くされたからの事ではありません。その反対で彼らに対する激しい言葉が記されるエレミヤ書は、エレミヤの涙、主ご自身の涙に満ちて、彼らに対する主の深い愛、妬むほどの愛を知らされます。」と話された。

エルサレムは今でも東西南北どこからも上り坂になる山の上にある。エルサレムの町の中で「シオン」は、「ダビデの町」と呼ばれ、今はイスラエル教の岩のドームが建つ神殿の丘があるが、その南に位置する丘にダビデが作った町である。

かつては老いも若きも集うエルサレムであったが、この当時はすっかり荒れ果て、多くの民は世界各地に離散して人影もなかった。そのような中で主は言われる。「彼らを連れて来て、エルサレムに住まわせる。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは真実と正義に基づいて、彼らの神となる」と。

難しくて良く分からないが、それが今、パレスチナの人々を排斥するイスラエル国家なのだろうか。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「息継ぎのように冷たい部屋を出て血を巡らせる数分ほどを 橋本恵美」


コメント(0) 
共通テーマ:

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。