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コリントの信徒への手紙Ⅰ  12章27節~13章13節 [コリントの信徒への手紙1]

<「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(13節)>

昨日は、私たちの教会の創立77周年記念日礼拝を守った。仕えておられた東京の教会が空襲で全滅し、S牧師は故郷であるこの地に帰られた。新しく教会を立てるには無理な状況で、家族の生活のために牛を飼われ、それが牧場へと進んで行った。しかし、S牧師の祈りが聞き届けられ、教会、会堂建設へと至り、現在へと導かれてきた事が話され、兄弟姉妹と共に神に感謝した。

「あなたがたはキリストの体であり、また一人一人はその一部分です。神は教会の中にいろいろな人をお立てなりました。(27節)」 第一に使徒、「使徒」とはイエス・キリストの復活の証人であり、全権を委ねられて遣わされた者たちでパウロもその一人である。使徒はひとつの教会にとどまらず、広い地域を巡って福音を宣べ伝える事を命じられている。

そして、使徒が去った後に、福音を宣教するのが、預言者や教師であった。ここでの預言は新しい啓示というより旧約聖書を説き、イエス・キリストの教えに基づいての説き明かしであった。パウロは彼らの務めはすべてイエス・キリストの御言葉に仕える務めであるため、序列をつけ、その役責を重んじた。復活の証人である使徒はすでに天に召されたが、彼らは新約聖書を遺した。
 
13章は「愛の賛歌」とも呼ばれている。「愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言は止み、知識は廃れよう、私たちの知識は一部分、預言も一部分だから。(8.9節)」 聖霊によって私たちの心に注がれている神の愛、聖霊の実である愛は決して滅びないとパウロは説いてゆく。

K牧師は「しかし、聖霊から頂いたものである、預言、異言、知識は廃れるのです。私たちの与えられたそれらは、ほんの一部分なのです。完全なものが来たときに、それら部分的なものは必要が無くなるのです。幼い頃、部分的にしか知らなかったが、成人した今、完全なものを知ると、幼かったころの知識は不要なものとなるのです。」と解かれた。

信仰と、希望と愛、その中でも最も大いなるものは愛とパウロは記す。K牧師は「パウロは、神を知る事が神を愛する事だと言います。神さまのほんの一部分しか知らない私たちですがそれでも、神さまの交わりに生かされているのです。その交わりは愛の交わりです。この交わりは死を越えて永遠に続くのです。そして、ここに永遠の命の秘密があるのです。」と話された。

主イエスは自分に親切な人を愛するのは当然だ。「敵を愛せよ」と言われている。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「思ひ立ちセンター街へ向かふ午後 雑踏なるもの恋しくなりて 千野みずき」



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