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コリントの信徒への手紙Ⅱ  6章11節~7章1節 [コリントの信徒への手紙Ⅱ]

<神の神殿と偶像にどんな一致がありますか。わたしたちは生ける神の神殿なのです。神がこう言われている通りです。「わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。そして、彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(16節)>

「神様は神殿の一番奥の玉座にドーンと座っておられる動かない存在ではなく、私たちの間に住み、私たちの間を巡り歩く存在です。たとえあなたが遠く神殿の入り口にいたとしても、神さまの方があなたの元へとやって来て、共に時間を過ごして下さいます。」と、中道牧師は書きだされる。

パウロはコリントの信徒たちに、「信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛に繋がれてはなりません(14節)」と、忠告する。「正義と不法」「光と闇」「キリストとベリアル(悪魔)」「神の神殿と偶像」を、全く正反対なものとして述べてゆく。

しかし、それは罪人とも食卓を囲まれる主イエスとは正反対な考えではないだろうか。無宗教の人で立派な人はたくさんいるし、むしろクリスチャンであっても酷いことをする人はいる。このパウロのような考えでいると、キリスト教を知らない人に御言葉を宣べ伝えても誰も心を開いてくれないだろう。

S牧師は「その通りです。けれども、同時に神から離れて生きている人は、神の明確なメッセージを持たないという意味では霊的な暗闇の中にいて、サタンの悪い影響を受けやすいということをパウロは語っているのです。そういう人々に手を差し伸べ、光の下に来るようにと招くのです。しかし、その人々の闇の力、サタンの深みに、宣教するものが引きずりこまれる事もあるのです」と話された。

言われてみれば、日本の伝統的な文化に感心するがそれが偶像崇拝であったり、性差別であったりしている事に気づかずにいる。クリスチャンになったからそれらの文化を否定するのではなく「クリスチャンになるという事は、神の王国の民という新しい国籍を得たのです。この新しい国籍に生きるため、古い生き方の中で改めるべきものは改める、そういう姿勢も大切です。」とS牧師は話された。

パウロは16節から、神はこう言われたと、聖書からのみ言葉を引用する。それらはみな、神の民イスラエルへの約束であるが、パウロはこうした約束が全てイエス・キリストにおいて実現したと示す。神はイスラエルの罪を裁き、彼らを世界中に離散させたが、彼らの罪を赦し、呼び集め新しい契約を結ばれた。パウロは聖書からの六箇所を引用し、教会誕生も神の約束が主イエスによって成就したのだと。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「誰も口をきかない部屋に誰よりも昔からいるパキラが枯れた はなきりんかげろう」


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