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コリントの信徒への手紙Ⅱ  3章1~18節 [コリントの信徒への手紙Ⅱ]

<もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。私たちの資格は神にあるのです。(5節)>

「パウロが自身の宣教の歩みにおいて福音を語り続けているのは、今や律法を超える栄光に満ち溢れる新しい契約に仕える資格を神が与えられたからだと言います。」と、信徒の友「日毎の糧2」を講解される鳥取・境港教会中道祐太牧師は書きだされる。

コリント教会はパウロの二回目の伝道旅行で生まれた。神はパウロの当初の意図に反して彼を、多神教の神々が住むギリシャの地での異邦人伝道に導かれた。彼はギリシャで最初はユダヤ人に伝道していたが、彼らから強い反発を受けた。そこで、コリントでは積極的に異邦人伝道を始めた。それは、主が幻の中で「恐れるな。語り続けよ。黙っているな(使徒言行録18章)」と告げられたからである。

しかし、ユダヤ人からクリスチャンになった人々は、パウロが十字架に架けられる前の主イエスから直接教えを受けていない事を理由に、ペトロやヨハネのような使徒とは比較にならない新参者だと蔑む者も出てきた。さらに、パウロが使徒であると証明する文書を求めた。

「私たちの推薦状はあなた方自身です。それは私たちの心に書かれており、全ての人々から知られ、読まれています。あなた方は、キリストが私たちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。(2.3節)」

O牧師は「私たちは自分の罪を知ると、神さまなしには生きていけないという思いが湧きます。それこそ、あなた自身が『キリストの手紙』なのだと言えます。十字架に架けられた主イエスを主と告白し、その父なる神を礼拝していること自体が、神の救いの御業を証しているのです。」と説かれた。

「神は私たちに新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えて下さいました。文字は殺しますが、霊は生かします(6節)」 十戒が記された石板を受けたモーセの顔は、その栄光に輝いた。そうであるなら、霊に仕える者の務めは「なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか(8節)」と記す。パウロが自らをモーセと比較したことに人々は、パウロは神を冒涜したと糾弾した。

モーセの書の朗読をユダヤ人たちは顔に覆いをかけて聞いた。その覆いによって、御言葉が人の心に傲慢や自己嫌悪を生んでいった。その無意味な覆いを主は取りのけられる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「凍り付く猶予もなくて川はただ川の姿のまま海に着く 空岡邦昴」


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