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ガラテヤの信徒への手紙  1章11~24節 [ガラテヤの信徒への手紙]

<わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたものでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。(12節)>

「主を証しするというのは、ある意味で神と自分とのすごくプライベートな部分の告白です。そんなプライベートな部分をパウロは所々で大胆に語る事があります。」と、中道牧師は書きだされる。

ガラテヤは北部中央小アジア(現トルコ)に位置する。BC200年以前に定住したゴール人あるいはケルト族の子孫が住んでいたことから、BC25年にローマ皇帝アウグストウスがガラテヤと名付けた。パウロの時代にはローマの属州となっていた。

最初に「人からではなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされた(1節)」とパウロは1章を書き出す。そして「私は福音を人から受けたのでも教えられたものでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。」と、今日の個所は始まる。この重複にパウロが使徒とされた事と、キリストの啓示を受けた事が繋がる事が示される。

コリントの教会のように、ガラテヤの教会にもパウロの後から教会に来て教会を指導していた人々が、パウロが宣べ伝えていた福音に反する福音を告げていた。そのような事をする彼らは、「呪われるがよい(8節)」とパウロは主張した。

かつてのパウロは、人は律法を守る事によって神の御前に正しい者とされると信じていた。しかし、キリストの教会は「十字架につけられて死んだ主イエスを神は復活させられてメシア(救い主)となされた。そしてイエス・キリストを信じる者は神の御前に正しい者とされる。」と教えていた。それはパウロにとって受け入れ難い事だったが、その彼を用いて主は、福音を異邦人に告げ知らせるようにされた。

「パウロは自身の歩みにおいて主を信じるようになった事にとどまらず、多くの人々が主を信じるよう各地を行き巡り、主の福音を宣べ伝えました。それは、主の福音の喜びが彼を突き動かしたからです。そしてその結果、多くの人にその喜びが伝播していったのです。」と、中道牧師は説かれる。

パウロは「私を母の胎内にある時から選び分け、恵みによって召し出して下さった神(15節)」と、記す。主からの啓示を受けた時から、ではなくその前の自分の歩みも、異邦人への福音宣教のため、神が必要とされた準備の時であったと顧みる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「北側の白くなりたる街灯のすんすんと立つ雪の国道 俵山友里」


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マタイによる福音書  5章43~48節 [マタイによる福音書]

<あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。(45節)>

「旧約聖書には『隣人を自分自身のように愛しなさい』とは、書かれていますが『隣人を愛し、敵を憎め』という教えはありません。しかし、主イエスの時代ユダヤの指導者達は『隣人を愛しなさい』を、『隣人以外を憎め』と曲解していたのです。そのように解釈するのがユダヤ伝統の教えだったのです。」と、M牧師は話し始められた。

けれども、と言われ「あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。(箴言25:21)」があり、「敵を愛する」は教えられていたと思われるが、この時代、その真の意味は明らかにされていなかった。その人々に、主イエスは隣人愛として「敵を愛する」意味を教えられそれを実践して行かれた。そして私たちのために十字架に架かられたのである。

ユダヤの人々は高い城壁を巡らした町の中に住み、敵の来襲に対しては、城門を即座に閉める事が出来た。そして城門の内側の人を隣人とし、罪を犯した者は城門の外に放り出され敵と断罪した。その敵との交流、ましてや愛する事は考えられず命の危険があった。そのユダヤの人々に主イエスは「しかし、私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい(44節)」と。

そして「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなた方にどんなに報いがあろうか。・・・自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか(46.47節)」と、厳しく指摘される。

自分が愛するのは、家族、友人、同僚それは自分の領域の中にいる人々である。それ以外は敵とまでも言わないが無関係の人で愛する対象とは思っていない。しかし、それで弟子と言えるだろうか。徴税人、異邦人もすることをして十分だとするのか。弟子として、主の弟子としての意味はどこにあるのかと迫られる。

神は、正しい者にも正しくない者にも太陽を昇らせ、恵みの雨を与えられる。神は、私たちが悪とし、敵と呼ぶ人々も愛される。「だから、あなた方の天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。(48節)」

「米国の軍事力なしに日本の平和はない」と、声高に言う人がいる。「主イエスのみ言葉は理想論なのか。私たちは聖書を通して考えるのです。」とM牧師は話された。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「今さえがもう思い出の中のよう雪が静かに降っているなり 岩屋美和子」


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コリントの信徒への手紙Ⅱ  12章1~21節 [コリントの信徒への手紙Ⅱ]

<それゆえ、わたしは弱さ、侮蔑、窮乏、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。(10節)>

「私たちは説教や祈祷において、『すぐに罪を犯してしまう』『すぐ躓いてしまう弱い者』と、弱さを強調して語られたり祈られたりするのを耳にした事があるのではないでしょうか。」と、中道牧師は書きだされる。

パウロはコリントの信徒たちに自分が通った困難を列挙し、いかに自分が弱かったのかを誇った。そして12章に入り、この弱さについて述べてゆく。けれども、その前に自分が受けた幻と啓示について話す。「キリストに結ばれていた人」と記されるのはパウロ自身である。そして「14年前」とは、ルステラでユダヤ人たちが群衆を抱き込んで、パウロを石打ちにして、町の外に引きずり出したときの事だろうか。

この後、パウロは立ち上がって「また、ルステラに戻って、福音を語ろう」と言った。この、死んだようになっていた時「第三の天まで引き上げられた」のだろうか。聖書によると、第一の天は私たちが見上げる事のできる天であり、第二の天は私たちが天体と呼ぶ天、そして第三の天がパラダイス、主の御座があるところだとある。パウロはそこに引き上げられたというのだろうか。

「このような人のことを私は誇りましょう。しかし、私自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません(5節)」 パウロはコリントの人々に「私の事を見たり、私から話を聞いたりする以上に、私を過大評価する人がいるかもしれないし、また、あの啓示された事があまりにも素晴らしいからです。(7節)」それで、そのために思い上がる事がないように、私に一つの棘が与えられていると言った。

この棘に苦しめられパウロは三度も主に願ったが聞き入れられる事は無く、主は「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ、十分に発揮されるのだ」とこたえられた。だからパウロは、「キリストの力が、私の内に宿るように、むしろ喜んで自分の弱さを誇りましょう(9節)」と記す。

O牧師は「これは、クリスチャンが試金石とすべき真理です。私たちの力は弱さの中に現れるのです。私たちは神によって、下へ下へと押し込まれる人生を歩むようにされています。聖書の中の『忍耐』には、荷物を負い、腰を曲げてじっとしているという意味があります。私たちの夢、野心、期待がそがれ、低くされた時、『私の恵みはあなたに十分である』の御言葉を聞くのです。」と説かれた。

そして弱さの中ではじめて見える神の恵みに促され、苦しむ人々の隣人になりましょうと話された。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「今さえがもう思い出の中のよう雪が静かに降っているなり 岩屋美和子」


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コリントの信徒への手紙Ⅱ  11章16~33節 [コリントの信徒への手紙Ⅱ]

<多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇る事にしよう。(18節)>

「偽使徒たちは自分たちの優位性を示すために、自分の信仰を誇っていました。けれども、パウロは誇る者を『愚か者』と呼びました。なぜなら、彼らが主によらない信仰・信念を持ち、主ではなく、自身を誇り、主や人のために歩んでいなかったからです。」と、中道牧師は書きだされる。

「もう一度言います。誰も私を愚か者と思わないでほしい。(16節)」と書き出され、パウロは新しい宣教者たちに影響され、彼の事を疑い始めたコリント教会の一部の信徒たちに警告する。それは、パウロが絶えず苦難に遭っているのは、危険を回避する知恵に欠けているというものであった。

しかし、パウロは自らが受けた苦難に積極的な意味を見出していた。それは主イエスの生き方に倣う事「キリストの死をこの身に帯び」であり、誇るべき事であった。パウロは続けて「私を愚か者と思うなら、私を愚か者とみなすがよい」という。パウロがここで言う「愚か者」とは、宣教師たちの事を指す。彼らが愚かにも、自分の出自、実績を誇るなら、自分も愚か者になろうと言った。

パウロは、これから話す事は、主によって話すのではなく、愚か者の自慢話だと前置きする。「多くの者が肉に従って誇る」とあるのは、彼ら宣教師の事で、「肉によって」は、悪い意味合いがあり「世の中の基準に従って」とか「この世的な」という意味になる。19節から21節までパウロは痛烈な皮肉でコリントの信徒たちを叱責する。

22節で、パウロは自分は、ヘブル人でありイスラエル人だというが、ヘブル人とは、ヘブライ語が話せる人、イスラエル人とは神の契約の民であることを彼は強調したのである。とK牧師は話されたけれど、じゃあユダヤ人はどうなの。現代のイスラエル国民はどうなの。と聞きたかったけれど、複雑そうで止めた。

「キリストに仕える者なのか、気が変になったように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。(23節)」 そして、その証として労苦は彼らより多くと続ける。宣教実績を上げるのではなく、パウロは自分の苦難を綴り、その事を誇る。それは、主イエスの生き方に倣う事であり、主イエスのように生きている事の証であり、大いに誇ることであった。しかし、酷い目に遭っていたんだと改めて思う。

主イエスがユダヤ当局とローマ帝国によって犯罪者として処刑された事から、パウロがその人物を王として宣教するのはユダヤ人にとっては冒涜であり、ローマにとっては社会の安定を乱す騒乱罪だとみなされていた。パウロが異邦人伝道をしていた事もユダヤやローマにとっては看過できなかった。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「行間を埋め行くように降り止まぬ雨音聞こゆ味噌を溶きつつ 石橋泰奈」


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コリントの信徒への手紙Ⅰ  9章19~27節 [コリントの信徒への手紙1]

<福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。(23節)>

「パウロは自分の意志で『奴隷』になったと語ります。強制的に奴隷にさせられたのではなく、自ら『すべての人の奴隷』になった、と。単純に奴隷になったと聞くと消極的に感じますが、そこにはキリストの十字架によって自由にされた喜びによる積極的な姿が見られます。」と、中道牧師は書きだされる。

できるだけ多くの人に福音を伝えるために「全ての人の奴隷になりました(19節)」とパウロは語る。「ユダヤ人にはユダヤ人のように、異邦人には異邦人のように、弱い人に対しては弱い人のように」と言い「全ての人に対して全てのものになりました(23節)」と主張する。

「人のように・・・」という言葉が続く。それは、相手と同等になり、同じ振る舞いをし、同調し、妥協する事を意味していない。いつも目の前にいる相手に同調し、迎合ばかりしていたら、自分自身を失う事になる。

O牧師は「パウロはここで人間関係ではなく宣教について話をしているのです。商売事や技術にはそれなりの取得の道があって易々と無視はできません。けれど、主イエスの福音は迎合や、妥協、取引によって伝えられ広がっていくものではありません。」と、話された。

そして、戦国時代、我が国に来た宣教師たちは、日本語習得にまず取り組んだ。アルファベットを用いて日本語で記した「伊曽保(イソップ)物語」は、彼らが極東の島国に住む人々とのコミュニケーッションを望んでいたかがうかがわれる。と続けられた。他者の立場に立って、その人だったらどう感じるかといことを想像する能力で、神さまから頂く事が出来ますよう祈り求めなければならないと言われた。

「あなたがたも賞を得るように走りなさい(24節)」 パリ五輪が近づいて、この言葉に追われている人をテレビで゙見るたび「なんだかなぁ」と思ってしまう。けれど、パウロはここで「賞」の背後にある「プロセス」が重要だと訴え、「私たちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。(25節)」と勧める。

「自由にされた者として、・・・相手との関係性を妨げるものはないという事です。だからこそパウロは自分のことを二の次にしてしても、他者と関わり、友と共に福音の喜びに与るために走っているのです。」と、中道牧師は結ばれる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「とろみある水の小舟に乗せられて薬は母の喉くだりゆく 一宮奈生」


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