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ルカによる福音書 6章12~26節 [ルカによる福音書]

<今、飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今、泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる。(21節)>

「イエス様は『使徒』と呼ばれる12人の弟子を選びます。12人の中には先に弟子へと召された漁師たちや徴税人の名前も確認できます。マタイ書の『山上の説教』と並行する記事ですが、ルカ書では『イエスは・・・平らな所に』との記述から『平地の説教』と呼ばれ親しまれています。」と、阿部牧師は書きだされる。

安息日に手の萎えた人を癒された主イエスは祈るために山に行かれた。主は次の働きに備えて一人になって祈られる。「神に祈って夜を明かされた(12節)」主は夜通し神に向かって祈られた。朝になると弟子たちを呼び集められ、その中から12人を選んで使徒と名付けられた。

選ばれた12人の「使徒たち」は、御国の福音を宣べ伝え、悪霊を押し出し、病を癒す務めを、主イエスと共に担う者たちである。イスラエルの12部族と同じ12人。イスラエルの民は神によって選び出され、神の民として諸国民の祝福の基になるよう定められた民である。12人も主によって選出され、12人は主が宣べ伝える御国の福音に、多くの民を招き入れるために遣わされる者とされていく。

夜通し神に祈って主イエスが選ばれた12人の中には、徴税人マタイや裏切り者のイスカリオテのユダもいる。O牧師は「これは、今を生きる私たちも、この選びの中に入れて下さるという事です。到底相応しくない私たち、悩みや欠けに満ち、信仰薄く、試練に耐えられず、暴力と憎み合う世に頭を抱える無力な私たち、そんな者を呼び集められ、主は使徒として用いられるのです。」と話された。

「イエスは彼らと一緒に山から下りて平らな所に立たれた。大勢の弟子とおびただしい民衆が」イエスの教えを聞くため、また病気を癒して頂くために集まっていた。「さて、イエスは目を上げて弟子たちを見て言われた。『貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は幸いである。あなたがたは満たされる。今泣いている人々は幸いである。あなたがたは笑うようになる。(20.21節)』」

この世の尺度とは正反対。K牧師は「私たちには、自分で自分を救う力などありません。神の憐れみと御心によって生きているだけです。その事に気付かされた者こそ、自分の『貧しさ』を知ったものではないでしょうか。知恵や力を頼りにいていては『貧しい人』になれないのです。」と話された。
 
今日の短歌 短歌誌「塔」より

「縦型の信号ばかりの街に住みひごと冷えゆく朝をあゆめり 中野功一」


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