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ルカによる福音書 8章1~15節 [ルカによる福音書]

<また、ほかの種はよい土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して「聞く耳のある者は聞きなさい」と、大声で言われた。(8節)>

「イエス様の宣教を支えた女性たちが紹介されます。圧倒的に男性優位の時代に女性たちが宣教に同行し、奉仕する事がどれほど大変であったか、今も昔も福音宣教の実際には、歴史に名を残さない無数の働き人があったことを思わされます。」と、阿部牧師は書き出される。

ファリサイ派シモンの食事に招かれた後、「イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。12人も一緒だった。(1節)」

S牧師は「ここでは、主イエスが主語になっています。福音を広めるのはイエス・キリストご自身であり、私たちではないのです。私たちは神の祝福を祈り、主が為される事に参加するのです。12人の弟子も同行します。福音宣教は主がなさいますが、12人の仕事は主と共にいることです。主と共にいて、個人的、人格的、親密な関係を持つ事が私たち弟子の仕事なのです。」と、話された。

12弟子だけでなく、多くの女性が主イエスに同行していた。悪霊にとりつかれていた「マグダラのマリア」の次には「ヘロデの執事の妻ヨハンナ」彼女は政府高官の妻であった。どのような背景を持っていたとしても、人間は神を必要としていた。彼女たちは、祈りやみ言葉の目に見えない事で神に仕えるだけでなく、実際に自分の持ち物を出し合って主イエスの福音宣教に仕えていた。

町々村々から集まって来る群衆に主イエスは「種を蒔く人のたとえ」を話された。蒔かれた種のあるものは道端に落ち人に踏みつけにされ、鳥に食べられた。石地に落ちたものは、芽は出たが枯れ、茨に落ちたものは、茨に押しかぶされた。「また、ほかの種はよい土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」と話された。

群衆と一緒にたとえを聞いていた弟子たちは、このたとえがどんな意味かを主イエスに尋ねた。「彼らは、見ても見えず、聞いても理解できない」と、たとえはとても単純だが、それを受け取る事が出来ない、あるいは拒んでいるからだと主イエスは弟子たちに話された。み言葉の聞き方によって、神の国がはっきり見えるか、そうでないかが決まるのだと言われる。

私の身内にクリスチャンはいない。み言葉やたとえ話に耳を貸さない。神を信じるのは難しいらしい。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「厚着した服の上から抱きしめて同じ力で抱きしめられた 成瀬真澄」


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