SSブログ

テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章12~24節 [テサロニケの信徒への手紙]

<いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんな事にも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなた方に望んでおられる事です。(16~18節)>

上掲した有名な聖句をもとに2023年最後の礼拝が守られた。その時の説教をまとめようと思いつつ、元旦の地震、その災害状況が知らされるにつれ、このみ言葉を自分は受け止められるだろうかと思った。神が試練を与えられる事は知っているが、この地震も神のご計画の中にあるのだろうか。そんな戸惑いを持ちながらまとめてみる事にする。

常に喜ぶようにとパウロは奨励する。この喜びは、罪の赦しを頂いた事から来る喜びである。旧約聖書の時代ではユダヤの指導者たちによって人々は天地の造り主である神を信じたが、律法を守ることが絶対であり、それを守れない者は罪を持つ者とされ、神の裁きを受けると教えられていた。そのため人々は自分の罪に怯えていた。そのような世に主イエスは降臨され、恵みの神を示された。

主イエスの御言葉によって、人々は罪の負債を免除され、恵みによって神の子どもとされた。クリスマスの真の喜びの理由はここにある。ユダヤの指導者によって天地の造り主なる神を彼らは自己保身のための歪んだ形にしてしまったのがユダヤ教ではないだろうか。

絶えず祈り感謝するようにとパウロは勧める。お正月には大勢の人が神社に詣で一年の安全祈願をするが、クリスチャンの祈りは全く違う。天地の造り主神を信じて祈ることがまず求められる。形にとらわれず全てを神に委ね、神の恵みと導きを感謝し、自分の願いを求める。

そして最後に、過ち多い罪人の自分を主イエスが神に執り成して下さいますようにと願う。そして最後にこの祈り願いが、どのような形で成就されるのか自分にはわかりません。あなたにお任せしますという意味で「アーメン」と結ぶのである。

またパウロは預言に対してどのような態度をとるべきかを述べる。預言の真偽を確かめないまま却下してはならない。信仰の鍛錬によって全ての事をよく吟味する目と耳を持つ事であると。もしも預言が使徒的な信仰に反するものであれば、斥けなければならない。

23章でパウロは、テサロニケ教会が主イエスへの信仰を保ち、主イエスがこの世に再び帰って来られるその日まで落ち度のない日々の歩みを続けるように、と祈る。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「結論が見えない話が大切でバスを待つ昼さんざん話す 岡本潤」



共通テーマ: