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ルカによる福音書 7章18~23節 [ルカによる福音書]

<「わたしにつまずかない人は幸いである。」 (23節)>

「洗礼者ヨハネの『来るべき方は、あなたでしょうか』との問いにイエス様は『私につまずかない人は幸いである。』と応じます。イエス様に敵対する者だけでなく、イエス様を新しい王として大歓迎した民衆も、イエス様に信仰を告白した弟子たちも、最終的に躓きました。」と、阿部牧師は書き出される。

投獄されているヨハネに、彼の2人の弟子は人々に救いの恵みを話される主イエスの事について知らせた。そこでヨハネは彼らを主イエスのもとに送り、「来るべき方は、あなたでしょうか・・・」とたずねるように命じた。「来るべき方」というのは、旧約聖書が預言する救い主の事である。

主イエスは2人に「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、重い皮膚病を患っている人は清くなり・・・死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らせている。私につまずかない人は幸いである。(22節)」と答えられた。投獄され、明日の命が約束されない状況にあって、ヨハネが聞く主イエスの御言葉は彼に確かな光を与えた。

主イエスは2人の弟子に「行ってヨハネに伝えなさい」と言って、答えられ、最後に「私につまずかない人は幸いである。」と言われる。O牧師は「これは、私たちへの問いかけであると同時に信じる者は『幸いである』という祝福の言葉です。主イエスが成し遂げられた事の中に自分の救いがある事を信じ、受け入れる者は幸いだという意味になります。」と話された。

先日の礼拝は、天地の造り主、万能の神が、アブラハムとサラに男児を与えると約束され、その言葉を信じたアブラハムを義とされたという説教であった。礼拝の帰り道いつものようにおしゃべりしていると、子供の不登校に悩んでいるTさんが、結局なるようになる「神様にお任せするんだと思えたわ」と明るく話された。どういう、結論に至るか分からないけど、それを楽しみにすると。

O牧師は続けて「主イエスが為される救いは、私たちがこの世において体験する様々な苦難を乗り越える力を与えるものです。自分の力ではどうする事も出来ない困難、行き詰まり、挫折の中で主イエスは私たちを支え、生かし希望を与えて下さいます。ヨハネは弟子から聞いた主イエスのみ言葉によって、このお方の道を備える者として仕えた恵みに感謝した事でしょう」と話された。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「朝ごはん食べている間にまた飛んで冬の波間にミサイルが落つ 冨田織江」


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