SSブログ

エズラ記  2章1~70節  [エズラ記]

<祭司、レビ人、民の一部、詠唱者、門衛、神殿の使用人はそれぞれ自分たちの町に住んだ。イスラエル人は皆、それぞれ、自分たちの町に住んだ。(70節)>

BC538年、バビロニア帝国はペルシャに滅ぼされ、ペルシャ王キュロスは捕囚となっていたイスラエル(ユダ)の民に帰国命令を出す。2章は最初の帰還民のリストで始まる。その帰還を指導したのはゼルバベルとヨシュアであった。その数はゼルバベルとその仲間(2節)11名。氏族別の帰還者(3~20節)15.604名。所属別の帰還者(21~35節)8.540名。祭司(36~39節)4.289名。レビ人(40~42節)341名。

宮に仕える僕たちとソロモンの僕たちの子孫392名、血統不明の人々652名。「会衆の総数は42.360名であった(64節)」 しかし、帰国しなかった者も多くいた。この膨大な帰還者名は、60年の時を経てもイスラエルがその民族の同一性を維持していた事を物語る。バビロンに連行された男子は約1万人、家族を入れても数万人だった。彼らはその地で子孫を増やし、帰国の時を待っていた。

帰還民が最初に行ったのは礼拝であった。「エルサレムの主の神殿に着くと、家長の幾人かは、神殿をその場所に再建するために随意の献げ物をささげた。彼らはそれぞれ力に応じて工事の会計に金61.000ドラクメ、銀5.000マネ、祭服100着を差し出した。(68節)」

「主の神殿」と言われているが、神殿はその跡かたなく崩壊し、60年以上も放置され、瓦礫の山になっていたに違いない。かつての神殿を知っている者も今は亡く、彼らから常々聞かされていた神殿の姿はここにはない。それでも彼らはそこを聖なる地として、神の祭壇を築き、礼拝をささげ、随意の献げものをささげた。

彼らの生活の中心は礼拝であったから、何よりも真っ先に礼拝をもって新しい生活を始めた。しかしやがて、先住民のサマリア人との間に争いが起こる。帰還した人々は自分たちこそ正統のイスラエルであると主張した。60年の歳月は、バビロンに捕囚として連行されなかった人々や、異邦人との結婚によって生まれた混血の人々を差別し排除するようになった。

連日ガザの病院を爆撃するイスラエル。イエス・キリストの御心から遠く離れてしまっているイスラエル。主なる神はこのような形を望んでおられない。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「旭岳に今年も雪がひかるからとりあえず今日は生きていようよ  亀海夏子」


コメント(0) 
共通テーマ: