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エズラ記  3章1~13節  [エズラ記]

<昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちは、この神殿の基礎が据えられるのを見て大声をあげて泣き、また多くの者が喜びの叫び声をあげた。(12節)>

第七の月が近づくと、帰還の民は自分たちの町にいたが、一斉にエルサレムに集まって来た。彼らはモーセの律法を守るために、ラッパの吹き鳴らす日から始まり、そして贖罪の日、仮庵の祭りを守る。

神によって立てられた指導者は総督としてゼルバベル、また大祭司としてヨシュアがたてられていた。2人は神殿再建の時に用いられる器となる。この2人について預言者ハガイとゼカリアが叱責と励ましの預言を行う。

「彼らはその地の住民に恐れを抱きながら、その昔の土台の上に祭壇を築き、その上に焼き尽くす献げ物を主にささげた。(3節)」 60年の歳月は長かった。エルサレムは瓦礫の山となり神殿は崩れたまま放置されていた。所有権というものもない時代、誰かがその地を耕し、家を建てたとしても仕方がない事であった。彼ら周囲の人々が神殿再建を阻止し、敵対心を抱いたとしても責められない。

その人々に恐れを持ちながらも、朝夕焼き尽くす献げものを主に捧げ、新月祭、主の全ての聖なる祝祭、主に随意の献げものをする全ての人のために献げ物をささげた。モーセの律法にかかれているように行い、それを喜びとして行った。彼らにとって主の御心を行う事こそ喜びであった。しかし、神殿の基礎はまだ据えられていなかった。そこでキュロスの許しを得て、レバノン杉を調達した。

そして、翌年の第二の月、祭司を中心として、帰還の民と共に仕事に取り掛かり、20歳以上のレビ人を主の神殿の工事の指揮に当たらせた。神殿の実際的な事柄において霊的指導者が関わるのは、私達の教会もそうであった。牧師がその会堂建設や予算など、主に祈って具体的に主に与えられたものを管理し、使用していくのかを中心となって考える。

神殿の基礎が据えられると、祭服を身に着け、ラッパ、シンバルが鳴り、ダビデの定めに従って讃美歌を唱和して、主を讃美し感謝した。民も皆、主を讃美し大きな叫び声をあげた。神殿崩壊はBC586年、この時は535年。イスラエルに対する神の約束はただ言葉でしかなかった。しかし、それが成就されようとしている。多くの人々は喜びの声をあげた。

しかし、以前の栄華を極めた神殿を知る人にとって、それはお粗末なものでありすぎた。彼らはその事を通して、イスラエルが犯した罪の大きさを思い出さざるを得なかった。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「順番を並んで待っている卵昨日茹でられ今日は焼かるる 岡本妙」


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