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ヨハネによる福音書 21章1~14節 [ヨハネによる福音書]

<イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちは誰も、「あなたはどなたですか」と、問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。(12節)>

「夜通し漁に出てきた弟子たちを迎えて下さったイエスさま。炭火をおこしパンと魚を用意して一緒に朝ご飯を食べようと、イエスさまが手ずからパンと魚を分けて下さいました。」と、清藤牧師は書きだされる。

エルサレムで閉じ籠っていた弟子たちと会われた後、復活の主イエスは、ティベリアス(ガリラヤ)湖に姿を現された。そこにはペトロをはじめ7人の弟子がペトロの呼びかけに応じて、舟に乗り込み漁に出ていた。しかし、その夜は何もとれず、彼らは空腹と失望感で疲労困憊していた。夜明け頃、主イエスは岸に立っておられたが、弟子たちは誰一人それが主イエスだとは分からなかった。

主イエスの復活は彼らに喜びと希望をもたらしたのだが、それだけで毎日の糧が得られるわけもなく、漁ならばと網を投げたが、何もとれず徒労に終わってしまった。その様子を主イエスは湖の岸に立って彼らを見ておられた。K牧師は「これはしばしば、私たちが主の臨在を感じるのが、途方に暮れた時であるのと同じです。」と言われた。

岸から舟の上にいる彼らに主イエスは収穫があったのかと聞かれた。それが徒労に終わったと答えると「舟の右側に網を打ちなさい、そうすればとれるはずだ」と言われた。そこで彼らが網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げる事が出来なかった(6節)」 一人の弟子が「主だ」と言ったので、裸同然だったペトロは上着をまとって湖に飛び込んだ。

193匹の大漁であったが網は破れていなかった。弟子たちが陸に上がるとそこには炭火がたかれ、その上に魚が乗せられてあり、パンもあった。「さあ来て、朝の食事をしなさい」と主イエスの声がした。「主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えて下さる(詩編127)」

「父なる神様に蘇らされたイエス様は私たちにおっしゃいます。『さあ、一緒に食べよう』と。神様の養いの中に私と一緒にあなたも一緒に生きようと。体の事で思い煩い、不安なことを数えてきたかもしれない。心もとなさを覚えたかもしれないけれど、私のもとで一緒に生きよう。そういって、私たちの日々の暮らしにイエス様は共にいてくださるのです。」と、清藤牧師は結ばれる。

「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」と、主の祈りを祈っているのに、自分は糧のためにあくせくしている。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「寒雨すぎあかるむ鉢のゼラニューム咲けば咲くほど孤独深まる 菊井直子」


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