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ヨハネの黙示録  4章1~11節 [ヨハネの黙示録]

<「主よ、私たちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れとを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです。(11節)>

「『ここへ上って来い。この後必ず起こる事をあなたに示そう。』ヨハネはそういって天上の礼拝を見ています。24人の長老たちが『玉座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝し』、被っていた金の冠を玉座の前に投げ出しました。」と、清藤牧師は書きだされる。

O牧師は「黙示録は文学的類型から言えば『ファンタジー』であると思います。ファンタジーはギリシャ語で『見えるようになる』という意味を持ちます。象徴的な事物を多用して、終末のヴィジョンを語るという幻想的な様式を持っています。黙示録の記された背景には、キリスト者への迫害、虐殺という苦難がありました。人々は、その現実に埋没し、逃れ口や抜け道、対処の方法を見失っていました。そこで、信号のようなものが必要なのです。混雑した交通状態が、色の点滅によってその流れが制御されていくのです。」と話された。

奇妙で読み進めるのが出来なくなる、こんなことが本当に起こるのだろうかと思ってしまう。O牧師は「こういう風変わりな文学表現を読み、自分の心に描いてみて、面白いと楽しむのです。現実を見る目と、それとは違うもう一つの世界を見る目を持ち、楽しめるなら、困難にただ飲み込まれずに済むのです。黙示録の作者はそれを目論んでいるのです。」と、楽しそうに話された。

「四つの生き物」が登場する。エゼキエル書1章。それは彼が見た神の幻である。エゼキエルは、バビロン捕囚期の預言者で、捕囚となりバビロンに連行された人々に語り、彼らを慰め、精神的に支えた人であった。彼は祖国の崩壊、滅亡を目にし、捕囚を体験し、突然に妻を失うというなか、預言者として神に仕えた。耐えがたい苦難の中の彼を支え続けたのは、神からのイマジネーションであった。

エゼキエル書では、一つとされた四つの生き物を、ヨハネは分解して一つの独立した存在として描き出す。第一の生き物は「獅子」、第二は「雄牛」、第三は「人間」、第四は「鷲」の4つの生き物が、キリストの玉座を取り囲んで、賛美すると記される。

「四つ」というのは四福音書。福音書こそ真のイスラエルの源であるイエス・キリストを証言し賛美するものである。無数の眼を持ち、四福音書に語られる主イエスをしっかり見るように、厳しい現実に捉われていないで、この世に生き、現実に向き合われた主を見るようにと黙示録は励ます。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「特大の広島カキは輝けり選りすぐられて上京したり 栗栖優子」


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