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テモテへの手紙  3章14~16節 [テモテへの手紙]

<神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。信心の秘められた真理は確かに偉大です。 (15.16節)>

この手紙をパウロがテモテに送った理由が記される。それは、パウロがテモテのもとに行くのが遅くなっても、テモテが教会でどのように行動すべきかを知らせるためであった。パウロは使徒として、先輩としてそして同労者として、若いテモテが苦闘しているのを見て見過ごす事は出来なかった。

15節に「神の家」と訳されている語が、3章の4.5節に「家庭」と訳されるが、どちらかというと「家族」、それを構成するメンバー、そこに住んでいる人たちとなる。それで「神の家」となると、神によって教会に集められた者たちの群れ、共同体である。かつて神から遠く離れ、光を知らなかった者が、イエス・キリストを信じ一つとされ、神の国の民、神の家族とされた。それが教会である。

またパウロは、教会はただ神の家族というだけでなく、「生ける神の家族であり、真理の柱または土台です」と説く。「生ける神」とは「死んだ神」「死んだ偶像」に対してつかわれる言葉である。立派な建物の奥に鎮座している動かない偶像たちとは全く違う事を強調する。

テモテが今いるエフェソには偉大なアルテミス神殿があった。神殿は長さ115m、幅55m、高さ18m、117本の柱で支えられ、総大理石で造られていた。建設にはBC7世紀から200年かかった。そこにアルテミスの女神が祀られ、それは木でできていたが顔と手足の先以外は黄金と宝石で飾られていた。エフェソの町はこの神殿を中心に生活が営まれていた。

そのような町、人々の中にキリスト教会が建てられていたのだと思うとテモテの苦闘が偲ばれる。この国でのクリスチャン人口は1割ですと言って過ごしている我々を反省せずにはおれない。日本にも動かないまま国宝にまでされている神々があるが、誰もそれを不思議と思わない。しかし、パウロは「それはただの偶像だ」と言い、教会におられるのは生きた神、生きて働く神だと断言する。

そして「その教会は、真理の柱、土台だ」と言う。私たちの教会の礼拝出席者は20名程度、若者は少なく会堂は老朽化し、その財源も危うい。それでも「真理の柱」だと言われる。S牧師は「確かに目に見える教会は、あらゆる面で欠陥があり、私たちも不完全です。けれど、私たちはこの不完全な器の中に神の真理である福音を入れているのです。」とⅡコリント書4章7節を示された。

「私たちは、このような宝を、土の器に納めています。この並外れて偉大なものが神の力であって、私たちから出たものでないことが明らかになるために。」

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「ほどけゆく虹をみてゐた ひとりぶん生きてるだけでこんなにさびしい 澤田広枝」

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