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ヨハネによる福音書 20章24~31節 [ヨハネによる福音書]

<それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(27節)>

「弟子のトマスは孤独でした。ほかの弟子たちが『私は主を見た』というところに一緒にいる事が出来なかったから。弟子たちの喜びの輪に入っていくこともできず、『この目で見て、この手で触ってみなければ決して信じない』と意固地になってしまう始末。」と、清藤牧師は書きだされる。

復活された主が日曜日の夕方、ユダヤ人たちを恐れて家の戸に鍵をかけ、引きこもっていた弟子たちのところに来られ、彼らの真ん中に立ち、「あなた方に平和があるように」と言われた。そして手とわき腹をお見せになった。主を見て大喜びする弟子たちの中にトマスはいなかった。

復活の主イエスが来られた時、そこにいなかったトマスに他の弟子たちが次々と「私は主を見た」と話すと、トマスは「その手の釘跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ・・・私は決して信じない」と言った。彼は他の弟子たちが幽霊でも見たのだろうと思っていた。自分の視覚、触覚で確かめなければ信じないと思っていた。その事から「疑い深いトマス」と言われている。

しかし、疑い深いのはトマスだけではないルカ書24章で、弟子たちは「恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った(37節)」とある。その彼らに「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起すのか。私の手足を見なさい。まさしく私だ。触ってよく見なさい」と主は言われた。それでも、彼らが喜びながらも信じられないでいると、主は彼らが差し出した焼いた魚を、その目の前で食べられた。

八日後、トマスも含む弟子たちが、鍵をかけた部屋にいると、主が来られて真ん中に立ち「あなた方に平和があるように」と言われた。それからトマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と。主はトマスが弟子たちに言った言葉をご存知である。そのままにはなさらない。

「信じる者になりなさい」と言われたトマスは「私の主、私の神よ」とすぐに応えた。主はトマスに「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」と言われた。

その後のトマスは、南インドで伝道するが、チェンマイ郊外で石打にされ槍で突きさされ殉教したと伝えられている。インド南部の西岸に、聖トーマス・キリスト教徒の諸教会が今も存在する。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「色を失い影のごとくに行き来する吹雪のなかの人も車も 石井夢津子」


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