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マルコによる福音書 12節13~27節 [マルコによる福音書]

<彼らがそれを持ってくると、イエスは、「これは誰の肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」というと、イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。(16節)>

「ファリサイ派の人々とヘロデ派の人は、結託して、主イエスに『皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか』と尋ねました。」と、横井牧師は書きだされる。

問いかけた彼らは、ファリサイ派は忠実に律法を遵守する事を強調する派であり、ヘロデ派はガリラヤとベレアを統治していた、ヘロデ・アンティバスの行政に関与する人々である。18節に登場するサドカイ派はユダヤ人の富裕階級で祭司と密接な関係にあった。普段は反目しあう人々であったが、民衆が主イエスの御言葉を、喜んでいる様子をこのままにしておくことは出来ないという思いで一致していた。

主イエスが「納めるべきだ」と言えば、ローマの属国とされているユダヤの民衆が黙っていないし、また、ファリサイ派にとっては許し難いことだった。しかし、納めなくていいと言えば、それはローマへの反逆となり、主イエスをローマ帝国に訴える口実になると、ヘロテ派゙は思っていた。

主イエスは「なぜ、私を試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい(15節)」と言われた。そしてデナリオン銀貨に彫られているのは誰の肖像と銘かと問われた。主イエスに彼らが、「皇帝のものです」と答えた。すると主イエスは彼らに「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」と言われた。誰も反論できず、さらに「神のものは神に」については理解できなかった。

K牧師は「神は人をご自身の形として創造されました。ですから主イエスは彼らに、神からの招きを語られます。神の像(形=人)のものは神に帰らなければならないと言われるのです。放蕩息子の父のように、私たちが神に立ち帰り、神の国に入る事を待っておられるのです。」と話された。

次にサドカイ派の人々が近づき、特殊な例を引き合いに出して、復活には矛盾があるがほんとうにあるのかと尋ねた。主イエスは、結婚はこの世における関係で、神の国においてその関係は無くなる。そして、彼らが重んじるモーセ五書において神が「私はアブラハム、イサク、ヤコブの神である」と言われたのは、死んだはずの彼らが主の御許で生きており、やがて蘇る証だと話された。

「罪のゆえに、自分を神のものとせずに生きて来た私たち。そのような私たちを『神のもの』として回復して下さるのです。」と横井牧師は結ばれた。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「海に向き身はやわらかになってゆくそうだ今日から髪を伸ばそう 三谷弘子」


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