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ヨハネによる福音書 16章1~15節 [ヨハネによる福音書]

<しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる。その方は自分から語るのではなく、聞いた事を語り、またこれから起こる事をあなた方に告げるからである。(13節)>

「主イエス・キリストは、弟子たちに対する訣別説教の中で、ご自身が弟子たちのもとを去って、父なる神様のみもとに帰られる事を語られました。主イエスが弟子たちのもとを離れることは、実は『あなたがたのためになる』ということです。」と、横井牧師は書きだされる。

この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知らされた主イエスは、愛する弟子を集めて、最後のメッセージをされる。この翌日、十字架に架けられて殺される。「人々が私を迫害したのであれば、あなたがたをも迫害する。」と迫害予告をされた主イエスは、弟子たちにこれらの事を話したのは、その時が来た時に、私のこの話をあなた方に思い出させるためであると話された。

「今、私は、私をお遣わしになった方のもとに行こうとしている(5節)」その言葉に、弟子たちはもう何も言えなかった。それは彼らにとって耳を塞ぎたい出来事であり、悲しみと絶望にただ俯いていたのだろう。しかし主イエスは「私が去って行くのは、あなた方のためになる。私が去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである(7節)」と言われる。

「弁護者」とは「聖霊」の事である。日本基督教団の信仰告白には「・・・父と子とともに崇められ礼拝せらるる聖霊は、信じる者を聖化し御心を行はしむ、この三位一体なる神の恩恵によるにあらざれば、罪に死にたる人、神の国に入る事を得ず。新旧約聖書は神の言にして、そのうちに語りたまう聖霊は主イエス・キリストを顕示し、信仰と生活との誤りなき審判者なり。・・・」とある。

主イエスの後に来られる聖霊は、罪について、義について、裁きについて世にその過ちを明らかにされる。最大の罪は、神を信じない事にあるとK牧師は説かれた。そして「本来、人間は神の形に創られ、神の栄光を現す者として造られたのに、その神から離れ、自分本位に生きるようになってしまうのです。聖書はそれを罪と言います。」と話された。

しかし、その方が来ると自分の罪が明らかになる。自分がいかに自分勝手であったか、またそのために神に反逆していたかがわかり、自分の罪を認めないわけにはいかないのです続けられた。

「ちち、みこ、みたまのひとりの主よ~♪」礼拝の最後はこの三位一体の頌栄を和す。頭で理解しようとするとわからないが、自分は聖霊の導きを頂いている事を今は確かに信じている。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「節分の鬼にも寂しき鬼のいて駅で傘持ち人を待つ鬼 真間梅子」

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