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ルカによる福音書 20章41~21章4節 [ルカによる福音書]

<言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、誰よりもたくさん入れた。」 (3節) >

「当時の献金を献げる賽銭箱は、ラッパ型の容器でした。多くの献金をすれば大きくなり響き、少なく献金をすれば小さくなったと言われます。つまり、献金額の多寡は、周囲に知られていました。」と、榮牧師は書き出される。

この時代の宗教指導者たちは、「神の国」の実現を待望していた。それはダビデ王国の再来、見えない神のご支配や復活の命が与えられる時であった。しかしそれが、主を愛する者には「祝福」が、御旨に従わない者には「呪い」が与えられるという教えとなった。その結果、豊かな者は自分の信仰を誇らしく思わせ、貧しい者は自らの不信仰の報いを受けているのだと思わせた。

民衆の側でも、ギリシャやローマの風習に染まらない、ユダヤの慣習の規範を教える宗教指導者を必要としていた。そしてローマ帝国の総督や、その権力に媚びを売るヘロデ王の権力に対抗するため、宗教指導者たちはいつも民衆の支持を得る事に腐心していた。彼らは互いを必要としていた。

民衆が皆主イエスの話に耳を傾けている時、主イエスは「律法学者に気をつけなさい(46節)」と、弟子たちに警告される。旧約聖書の隅々まで諳んじる事が出来るほど研究し尽くしている彼らが、見過ごしているのは、人間にとって名誉や栄誉は地上の財宝に過ぎず、自分たちがそれらの奴隷になっている事に気付いていないという事であった。

御言葉を説き明かす時、相談事に耳を傾ける時、お金を取ることは禁じられていたが、彼らは感謝のしるしとして受け取っていた。感謝の贈り物は神への感謝の表現になり、神が報いて下さると言いながら、貧しい者からも仲介料、口利き料、弁護料などを手にしていた。

そして長い祈りを主イエスは指摘される。神への祈りという信仰の本質的な部分に名誉心が入り込んでしまっていたのだ。「このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受ける事になる」と糾弾される。

「主イエスが目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。(21章1節)」金持ちたちが次々に献金すると、賽銭箱が大きな音を立てる。その中に見るからに貧しいやもめがレプトン銅貨2枚を入れるのを見られた。レプトンはギリシャの最小硬貨、ローマの最小硬貨の1/2。

「この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れた(4節)」と、主イエスは彼を祝福された。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「そこまでと命の限り示されて続く明日のいきなり霞む  井崎秀樹」


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