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ルカによる福音書 2章36~40節  [ルカによる福音書]

<また、アシュル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから7年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、84歳になっていた。(36~37節)」>

「ユダヤ人は13歳で成人とされます。『若いとき嫁いで』ということは、成人した10代の内に結婚したということでしょうか。7年だけの夫婦生活の後、60年近くは神殿で神に仕える働きをしていた。そういう一生を歩んだ女性が、今や84歳のアンナです。」と、榮牧師は書きだされる。

シメオンが神に賛美を献げている、「その時、近づいてきて神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子の事を話した。(38節)」 シメオンはイスラエルの慰められるのを待ち望んだ。アンナはエルサレムの救いを待ち望んだ。2人とも、自分の願いを実現する事ではなく、神の救いが実現する事を待ち望んだ。どれほど、時代が混乱し、時が過ぎてもただひたすら待ち望んだ。

O牧師は「待ち望むことは、信仰にとって大切な姿勢です。けれど、待つことは人気のあることではありません。多くの人は待つことは時間の無駄として早い方法を考えます。私たちが待てないのは、それでは後れを取るという心の恐れに支配され、常にその恐れに駆り立てられているからでしょう。神様の御業を待つことができないのです。」と、話された。

ルカがシメオンとアンナについて語ったのは、彼が福音書を書いた時代にキリスト者たちの間に動揺があった。復活して天に昇られたキリストがすぐにも来て下さると思っていたのにまだ来て下さらないからだ。それは、連日ウクライナ、パレスチナが爆撃されているのに、いつまで待たされるのか、神への祈りは届いているのか、神はなぜ答えて下さらないのかと動揺する今、現在の私たちの姿である。

この世にあってそのような嘆き、呻きをもって歩む私たちに、シメオンとアンナの姿は救いの完成を忍耐強く待ち望むことを示す。ルカは終わりの日にキリストが再び来られ、神の支配が完成する事を待ち望むようにと励ます。私たちにはその日はいつなのか分からない。けれど、主イエスの十字架と復活によって救われ、終わりの日にキリストと共に復活し永遠の命に与るという、希望が与えられている。

O牧師は「たとえ、終わりの日が来る前に地上の歩みを終えるとしても、私たちはその希望によって救われ、キリストによる平和のうちに地上から去って行くことができるのです。死を恐れず、時代の混乱に惑わされず、復活の希望を持ち、救いの実現を待ち望むのです。」と、結ばれた。

神殿に詣でるたくさんの幼子の中から、シメオンは神の独り子を見分けた。自分にも見る目、聞く耳が与えられますようにと祈る。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「雨傘に喩へて君は僕を言う 濃紺で骨は十六本の  永山凌平」


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