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ルカによる福音書 19章11~27節 [ルカによる福音書]

<そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し『私が帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。(13節) >

今日の個所をもって9章51節から始まった主イエスのエルサレムへの旅が終わる。そして、主イエス最後の一週間が始まる。エルサレムに入城され、そこで捕らえられ、十字架につけられて殺される。このムナのたとえ話はその直前に語られた。「人々がこれらの事を語っている時、イエスはさらに一つのたとえ話を話される(11節)」と書き出される。

そして「人々は神の国がすぐにも現れるものと思っていたからである」と続く。「神の国」とは、神が王となってご支配される国、それがいよいよ実現すると人々は期待した。ローマ帝国の属国とされている今、神の王国、イスラエルを回復して下さるに違いないと思った。神の国到来を告げ、様々な奇跡を起こされるこのお方を、待ち望んでいたのだと期待した。その人々にこのたとえが語られる。

王位を受けようとする、ある立派な家柄の人が、遠い国に旅立つことになった。王に即位するイエスを思い浮かべながら人々は耳を傾けた。しかし、エルサレムにおいて、人々が主イエスに期待している事とは全く違う事が起こる。遠い国とは十字架の死と復活を経て神のもとに帰られるという事である。しばらくは主イエス不在が続くが、再び戻って来られる事がこのたとえ話で暗示される。

旅立つにあたって主人は、10人の僕を呼び、10ムナ(ギリシャ銀貨、1ムナは日当1デナリオンの100倍)の金を渡し「私が帰って来るまで、これで商売をするように」と言った。その命令を受けた僕たちがどうしたのかが語られる。主人が帰られるのを信じて待つ者が、主イエス・キリストを信じる信仰者の姿で、私たちは主イエスがもう一度来られるまでの間、主イエス不在の時を生きているのだ。

K牧師は「主イエスが王として帰って来られる事を信じて、主の僕として、主人の言いつけを守って働く、それがこの世を生きる信仰者の姿です。主人の『不在の間』という事が、私たちの信仰における重要なポイントです。」と話された。

1ムナを布に包んでしまっていた僕を主人は「・・・なぜ、私の金を銀行に預けなかったのか、そうしておけば私が帰って来た時、利息付きでそれを受け取れたのに」と叱責し、僕の1ムナを取り上げ、10ムナを持つ者に与えられた。

不在ではあるが、神は共におられる。主が見える見えないに関わりなく生きる事が求められる。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「葉を落とす雨の前にはあたたかな風吹きわたる色をゆらして 浅井文人」


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