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ルカによる福音書 19章41~48節 [ルカによる福音書]

<エルサレムに近づき、都が見えた時、イエスはその都のために泣いて、(41節) >

「主イエスが、エルサレムのために泣かれます。神殿での商売がエルサレムの宗教的退廃の現実を示しています。しかし、それだけではなく、主イエスには、紀元70年に起こるユダヤ戦争によるエルサレム神殿の崩壊が、目に見えています。」と、愛知、春日井教会榮厳(サカエゲン)牧師は書き出される。

主イエスが目指されたものは、平和である。この時代、BC27年~AD192年は「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」と呼ばれ、反乱などはあったものの、軍事力で鎮圧し、表面上は平和であった。しかし、これは偽りの平和であることを主イエスは見抜かれていた。

主イエスは、人々に神の国を説かれた。ローマ帝国やユダヤ教の権力に対して媚びることなく、武装蜂起してローマ帝国からの解放を叫ばれる事もなかった。さらには、出エジプトの伝承を基準にして、モーセの再来であるかのように振舞われる事もなかった。 

富んでいる者、強い者、権力ある者ではなく、貶められている者、貧しい者、虐げられている者こそが、神の国に招かれ、喜ばれた存在として無条件に無資格なまま受け入れられる、そのような神の国が現臨していると人々に説かれた。今、生かされている喜びを分かちあいたいと、パレスチナの町々村々を巡り歩かれた。

「もしこの日に、お前も平和の道を弁えていたなら・・・。しかし、今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに防塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れて下さる時を弁えなかったからである。(42.43節)」 主イエスは泣きながら神殿崩壊を預言される。

AD70年、ローマ軍はエルサレムでのユダヤ人の反乱を鎮圧した。ローマ軍は城壁を破壊し神殿を崩壊した。民衆は神が敵から自分たちを救って下さる時が来ることを切望していた。にも拘らず、そのお方を目の前にして、彼らは主イエスを救い主だと認めず「十字架刑にかけろ」と叫んでいた。

「主イエスの訪れこそが、神の救いと憐れみの事実でした。主イエスはご自身を拒んだ者になお涙を流されます。十字架の主の、憐れみの涙です。」と、榮牧師は結ばれる。

「神の訪れて下さる時を弁えなかった」 神殿は崩壊、ユダヤ人は離散し、その故郷は1948年5月14日イスラエル建国を待たなければならなかった。しかし、その日からパレスチナの苦しみが始まった。

今日の短歌 短歌誌「塔」より

「深海から浮かび上がってきたような術後の体をゆっくり運ぶ 山内直子」


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